我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(75)『強靭な国家』を造る(12)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その2)

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我が国の未来を見通す(75)『強靭な国家』を造る(12)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その2)

□はじめに

プーチン大統領は、ウクライナ侵攻という本当に“重大な過失”を犯したものと改めて考えてしまいます。本人は強気のように見えますが、内心は相当悔やんでいることでしょう。

このたびのNATO首脳会議において、さすがに紛争当事国のウクライナの加盟時期の決定は見送られたようですが、スウェーデンが加盟し、4月のフィンランドの加盟と合わせれば、バルト海正面の出口はすべてNATO諸国にふさがれてしまいました。

NATOへの新規加盟は全加盟国の賛同が必要ですが、スウェーデン加盟の最終決断は、これまでロシアと友好関係を保持していたトルコでした。トルコも大きく舵を切ったとみてよいと考えますが、これにより、黒海から地中海への出口もふさがれたことになります。

そして、ロシアからみた欧州正面は、バッファゾーンはベラルーシのみとなり、NATOに今すぐにでも入りたいとするウクライナを含めると、すべてNATO諸国に包囲される形になりました。ウクライナ侵攻に踏み切った理由について、ロシア側の言い分は確かにあることでしょう。しかし、このような状態を招いた原因を、プーチン大統領率いるロシア側の“読み違い”や“過失”は全くなく、NATO側に全責任があるとすることに無理があるのは明らかです。やはりロシアの“身から出た錆”は否めなく、冷静に考えれば、”他の手段“はあったはずなのです。

かつてナチスを葬った時のロシアの役割を今さら取り上げてみても、それぞれの国、特に欧州列国は、時代時代に“非情にも”相手を変えながら合従連衡を繰り返し、それぞれが生き残ってきたという歴史を有しているわけですから、まさに英国宰相パーマストンの名言「永遠の同盟も永遠の敵も存在しない。あるのは永遠の国益のみ」が、今も生きているものと考えます。

この結果に喜んでばかりはおれません。何度も繰り返してきたように、このような情勢の中で、ロシアが“乾坤一擲の手段”を使う可能性がより増大したことを警戒する必要があるでしょうし、ウクライナ戦争がどのように決着するかまだまだ見通しが立ちませんが、ウクライナ戦争後、「南下政策」として過去に何度も繰り返したように、ロシアが「再び極東へ」との動きを加速する可能性もあることです。

中国は、今回のNATOの決定に対して「冷戦思考だ」と反論したようですが、「明日は我が身」との懸念が増大したとも言えるでしょう。NATOの東京事務所設置については、フランスなどの反対で決定までには至らなかったようですが、ニュージーランドやオーストラリアなども中国に対する警戒心からNATOと新たな枠組みを造りたいとする動きが出ているからです。

NATOが東アジア正面に拡大し、それに我が国も参加するような枠組みについて、現憲法下の現在の安全保障政策の範囲の中で可能なのでしょうか。当然ながら、「集団自衛権の行使」のような、これまでの制約を超えた様々な活動が必要になってくることでしょうから、今のうちに真剣に議論する必要があると私は考えます。

最後に、ウクライナの反撃について、あえて感想を言わせていただければ、「攻撃は防御の3倍の戦力が必要」というのは軍事作戦の常識中の常識です。宇宙やサイバーなど戦争の領域が拡大し、装備が近代化されても、この常識は変わらないようです。

当然ながら、ウクライナ軍にも優秀な将校たちが存在し、様々な「見積り」や「分析」をした後に「作戦計画」を策定し、反撃開始のゴーサインを出したとは想像しますが、政治的な思惑から急かされたり、ロシアの防御力を低く見積ったり、ウクライナ兵士が外国製の兵器に慣熟する期間が短かったなどを含めて、当初の計画通りに進まないのはそれなりの理由があるのだと推測します。それこそが古今東西、変わらぬ“戦場の実相”なのでしょう。現役の自衛官諸氏もしっかり学んでほしいと願っています。

国際社会はいよいよ「分裂の時代」に突入したことを覚悟する必要があるでしょう。それは、“過去の常識が未来の常識ではなくなる”ことを意味するのでしょうが、“決定的な対立”を避けるために、「人類の叡智」が問われる時代になったとも言えると考えます。

▼数々の「我が国の未来を予言する書」に出会う

 

前回の最後に、外的・内的要因の克服をめざす“国家の強靭化に向けた処方箋、いや荒治療”について考えたいと述べましたが、さてどこから手を付けるべきか。それ自体が途方もないチャレンジであると改めて考えてしまいます。ただ、そうはいってもメルマガなので、私自身は、引き続き、気楽にあれこれ思いつくままに発信させていただこうと思っております。

さて、『世界で最初に飢えるのは日本』(鈴木宣弘著)や『2040年の日本』(野口悠紀雄著)のように、その一部はすでに本メルマガでも紹介しましたが、世の中には、我が国の国防、人口、食料、エネルギー、経済などそれぞれの分野において、将来を憂い、警鐘を鳴らしている書籍は山ほどあります。中には、イーロン・マスクのように「日本はいずれ存在しなくなるだろう」(2022年5月8日)と断言している人もいます。

私自身は、有識者たちが日本のどのような部分に“着目”しているかを知りたくて、迷うことなく手に取った書籍はたくさんあります。古くは、三島由紀夫氏や石原慎太郎氏などは独特の嗅覚で訴え、かつ行動しました。最近では、『捨てられる日本』(ジム・ロジャーズ著)とか『日本が消失する』(ケント・ギルバード著)のように“危機の時代”が眼前に迫っており、これまでの“やりかた”では対処できないと警告している書籍もかなりあります。

『日本の死活問題』(色麻力夫著)は、一言で言えば、戦後の怠慢が今日の状態を招いたとして、このままの我が国の未来について、特に国防の面から心配しています。そのような中で、『誰が国家を殺すのか』(塩野七海著)は、「民主制は、民主主義を自認する人々によって壊される」と、塩野氏自らが振り返ってきた、ローマなどの歴史的真実を踏まえて「民主主義を自認する人々」の“危うさ”を警告しています。

前回、小室氏が「平和主義者が戦争を引き起こした」と解説していることを紹介しましたが、これらはすべて、日本の“現在の常識”では対処できないことを物語っているのであり、これらの指摘はまさに慧眼であろうと考えます。

ではどうすればよいのでしょうか? 小室氏も“歩き出す”重要性を強調しただけで、具体的な提案はなかったことも紹介しましたが、『国の死に方』(片山杜秀著)も、「日本人は何を間違えたか」と今日に至る歴史的経緯を縷々解説し、最後は「そんなに国を死なせたいのか」とまとめていますが、そうならないため、つまり生き抜くための“処方箋”については触れないまま終わっています。

このように、「我が国が国家として未来に生き残るために、そして現状の様々な問題を改善するために、いかに“荒治療”するか」については、有識者といえども、「成案」を持っている人は少なく、当然ながら、簡単ではないということなのだろうと考えます。

ところで、読者の皆様は、“これまでの人類の歴史の中でいくつの国が消えてなくなったか”ご存知でしょうか? このような事実は、教科書などには載らないために通常、誰も知りません。それを知る貴重な書籍が『世界滅亡国家史』(ギデオン・デフォー著)です。消滅の理由は様々ですが、なんと48カ国もあるようです。

少し紹介しますと、「サラワク王国」「バイエルン王国」「リフレッシュメント諸島」「コルシカ王国」「マスコギー国」「ソノラ共和国」など名前さえ知らない国が多いですが、「満州国」「テキサス共和国」(アメリカに入りたくてメキシコから独立)「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」「ユーゴスラビア」なども含まれています。

オックスフォード大学で考古学や人類学を学んだギデオン氏は、「国家は滅亡する」として、「悲しい最期を迎えた国々の物語には、命知らず、レイシスト(人種差別主義者)、詐欺師、常軌を逸した人、脱税者、または勘違い、嘘、非常識な計画、その他『バカげた失敗』と言っていい数々の愚行が登場する」と、滅亡に至る内的要因について解説しています。歴史的事実しての国家の滅亡の原因は、内部崩壊か、外からの侵略に大別されますが、ここにあるような内的要因が相当の部分を占めることも事実なのです。

確かに、長い人類の歴史の中では、いくつもの国家の「興亡」がありましたが、ここに列挙したような内的要因が原因となった「亡」と、これらとは真逆の要因が鍵となって「亡」を逃れ、再び「興」に至った国々も数多くありました。

そのような中で、我が国の未来の“光明”について多くを語る書籍もかなりあります。代表的なものとして、『見えない資産の大国・日本』(大塚文雄著)では日本の強みに「インタンジブルス」を掲げます。この定義は専門的ですが、「目に見える」「可視の」「明らかな」などという意味の「ビジブル」の逆で、「漠然とした」「不可解な」「無形の」「実体のない」という意味で使われ、日本人の「よいところ」、つまり「礼儀正しい」「弱者をいたわる」「他人に迷惑をかけない」「他人の悪口を言わない」「自分の功を誇らない」「あまり神がかったことは言わない」「何かをあるときに精魂をつくす」など、日本人の「道徳」とか「心」を指した言葉と定義されています。

最近の社会現象などをみるに、このような「道徳心」が失いかけていると心配する一方で、世界がうらやむ「見えない資産」がまだ残っており、これらを大事する限り、日本は復活すると提案しています。その意味では、日本はまさに現時点がその「岐路」に差しかかっているのかも知れません。また、『日本の真価』(藤原正彦著)では、「この国は再生できる」として、「美意識」と「武士道精神の復活」を強調します。これらの細部については後述することにしましょう。

現憲法前文には、「国際社会における『名誉ある地位』を占めたい」旨のことが書き込まれています。それは単に、戦前のように「国際社会への『挑戦者』とならないこと」(私自身はこのような表現自体にも違和感を持つ一人ではありますが)を誓っただけなのでしょうか。いま現在は、すでに「名誉ある地位」を占めているのでしょうか。仮にそうであったとして、その地位は今後、永遠に続くのでしょうか。

以上のような現状認識と問題意識も持ちながら、次のステップに進んでいきたいと考えます。

▼「強靭な国家」の基本は「国力」にあり

私は、いろいろ考えた結果として、「強靭な国家」造りの基本は「国力」という言葉に集約されると考えるに至りました。「国力」とは、一般には「国際関係において、ある国家がもつ様々な力の総体」と定義され、これらの要素は、国民政治経済軍事科学技術文化情報などの能力と影響力を指しています。

そしてこれらの相対的な位置づけによって、一般には「超大国」「大国」「地域大国」「中級国家」などとランク分けされています。他方で、「国力」自体の定義と相対的な位置づけを数値で表す方法は多種多様で、結構複雑です。何を強調するかについては、「国力」を論じた人によっても見方が分かれます。本メルマガの本旨から少し外れるかもしれませんが、長らく論争の対象になっていた「国力」の定義や構成要素の差異の中にこそ、「国力」の本質と我が国の未来に対する“ヒント”があるような気がしますので、代表的なものを紹介しましょう。

その定義で最も有名なのは、「国益は国力によって支持されなければならない」との明言を残したドイツの国際政治学者ハンス・モーゲンソーだったと考えます。モーゲンソーは、「国力」の要因を(1)地理的要因、(2)天然資源、(3)工業力、(4)軍事力、(5)人口、(6)国民性、(7)国民の士気、(8)外交の質、(9)政府の質と9つ挙げています。

このうち、(1)から(5)までの地理的要因、天然資源、工業力、軍事力、人口は、ある程度数量化することができる「ハード・パワー」として換言でき、(6)から(9)までの国民性、国民の士気、外交の質、政府の質などは、数量化することが難しい「ソフト・パワー」として換言できるとされています。

この「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の関係を違った形で、「国力」の要素として定義したのが、米国CIAの情報担当次官として名をはしたレイ・クラインでした。クラインは、キューバ危機時の情報分析の第一人者としての自らの経験をもとに、当時、様々な書籍を上梓していました。日本語に訳されたもので有名なものは『世界の「軍事力」「経済力」の比較』(1981年)で、冷戦さながらの各国の「国力」などを見事に比較分析していました。私は当時また1等陸尉の若い幹部でしたが、関心を持ってこのような書籍に目を通していたことをよく覚えています。

クラインは、数値による「国力」を次のような方程式で表しました。

P=(C+E+M)×(S+W)

ここでいうP=国力、C=人口+領土、E=経済力、M=軍事力、S=国家戦略目標、W=国家意思を示します。

つまり、「国力」は、人口、領土、経済力、軍事力のような「ハード・パワー」と国家戦略目標や国家意思のような「ソフト・パワー」が“掛け算された総合力”であると定義しました。それでも当時は、その骨幹となるのは、「ハード・パワー」である経済力や軍事力であることが国際社会の常識となっておりましたので、クラインの定義は、「ソフト・パワー」の要素も無視できない“くらい”のニュアンスだったと記憶しています。

その後、アメリカの元国防次官補ジョセフ・ナイが2004年に『ソフト・パワー』を上梓し、軍事力や経済力以外の新しい概念として「ソフト・パワー」をより強調し、「ハード・パワー」と相互に駆使することによって、国際社会の支持を獲得する有効な手段であるとして一世を風靡(ふうび)しました。クラインの定義によるハードとソフトの主従関係が逆転したとの印象を受けました。

ナイ氏の「ソフト・パワー」を構成する3つの要素は、“その地域を魅力的に見せるような”「文化」、“国内外の人々の期待に応える”「政治的価値観」、“他の人や国から正当かつ道徳的な権威があると見なされる”「外交政策」を挙げています。これらから、若干のニュアンスの違いはありますが、他を強制し得る「ハード・パワー」に比して、「弾力性」とか「しなやかさ」を(つまり「強靭さ」)有するパワーが「ソフト・パワー」であるとも解釈できると考えます。

一方、私自身は最近まで知らないままでしたが、経済学界でも論争になっていたらしく、アメリカの経済学者のコックスとジャコブソンも「国力指数」の再定義に取り組みました。彼らは、「国力指数」をGDPに基づくものではなく、以下の10の要素から構成される複合指数として定義したのです。つまり、(1)軍事力、(2)政治力、(3)人的資源、(4)天然資源、(5)貿易、(6)財政、(7)通貨安定、(8)技術、(9)市場の大きさ、(10)国際的な役割です。いかにも経済学者らしい分析ですが、これにより、「国力指数」は単に経済力を測定するものではなく、より包括的な指標となりました。

そして、彼らはこれらをまとめるような形で、「国力」を次のような式で指標化しました。

「国力」=GNP+1人当たりのGNP+人口+核戦力+国際的威信

です。「ハード・パワー」に相当する経済力をさらに細分化し、軍事力も特に核戦力に着目したことは極めて“現実的”と言えるでしょう。この中の「国際的威信」は、その定義が難しいとは考えますが、この部分が「ソフト・パワー」に該当すると考えられます。

これらから、「国力」の定義は一様でないことがわかりましたが、このような定義を当てはめながら、我が国の「国力」をどのように分析・評価すればよいかについては次号で取り上げましょう。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)