我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(96)連載最終回を迎えて

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我が国の未来を見通す(96)連載最終回を迎えて

□おわりに──「今」の取り組みが「未来」を創る

思えば、109回に及んだ『我が国の歴史を振り返る』の続編のような格好で、『我が国の未来を見通す』と題したメルマガを発信開始したのは、2021年11月8日でした。あれから2年あまりの歳月が流れ、今回で96回を数えます。

本メルマガは、我が国の未来に立ちはだかることが予想される課題のうち、①少子高齢化問題、②農業・食料問題、③気候変動・エネルギー問題の3大課題から始めました。いずれも私の専門外でしたが、第1話でも告白しましたように、「もとより歴史の専門家でない自分が、歴史の書籍を刊行したのだから、それぞれの分野の専門家でなくとも、躊躇する必要はないのではないか」との“陰の声”が騒ぎ出し、逆に勇気が湧き、このテーマで書く決心をしたのでした。

「未来がどうなるか」など神様以外だれにもわからず、未来は不確実・不透明で予測困難です。一方、歴史を研鑽してわかった重要な1つとして、「歴史の時間軸・空間軸のつながり」がありました。時間軸で過去を振り返れば、江戸、明治、大正、昭和とその時代時代の国の「舵取り」をはじめ、様々な事象が次の時代、つまり「未来を創ってきた」ことは否定できませんし、空間軸でいえば、我が国の動きと諸外国の動きを切り離して論じた歴史は真実を物語っていません。

よく言われるように、「過去はやり直すことができないが、未来は創り出すことができる」との立場に立てば、国家が直面する様々な課題に対する「今」の取り組みが「未来」を創ることは当然なのです。

そのような視点に立って、“いかに「未来」を創り出すか”について取りまとめたのが第4編でした。本音を言いますと、“のたうち回りながら”考え抜いた結果、「『強靭な国家』造り」というキーワードが“降りて”きました。

「『強靭な国家』造り」を目標として、では“どのようにして「強靭な国家」を造るか”に関しても、具体案を提示することから“逃げたくない”との決意もあって、ずいぶん悩みました。しかし、これについても、突然、“降りて”きました。

言葉を代えれば、インスピレーションでしょうか。前回のメルマガでも不思議な体験を何度か経験しましたが、今回の連載は、何も考えないでパソコンに向かって原稿を書き始め、一挙に4000字ほど書き上げるようなこともしばしばでした。いま思うと、とても奇妙でした。本屋で必要な書籍を見つけた経験談についてはすでに紹介しましたが、自分で書いた原稿を後で読み直し、「誰が書いたのだろうか」と首をひねりながら推敲したこともありました。

こうして、第4編だけで32回、7カ月ほどかかり、しかも1回あたりほぼ6千字~7千字のボリュームになってしまいました。時を合わせたように、ウクライナ戦争が佳境に入り、ガザ地区の紛争が勃発したことなどもあって、これらについても、そのつど自分が認識している範囲で触れましたので原稿は膨らむばかりでした。

さぞや、読者の皆様には読むだけでも大変だったものとお詫びかたがた反省しております。このテーマで第4編のようなまとめ方が適切なのかどうかについては、読者の皆様を始め、他の有識者などの評価を頂かなければならないのですが、その中で、「国力」という言葉も“降って沸いた”ように頭に浮かんだのも事実でした。

この「国力」という言葉自体も外交文書などでは使われなくなって久しいこともわかりました。そこで、現役時代に読んだ書籍を再び開きながら、現在の我が国に相応しい「国力」については自分で“定義”するしかないことに気がつき、大胆にもそれを実施し、それぞれの要素をさらに現状分析してみました。

そうしたところ、我が国の現状の課題は上記3分野に留まらず、経済力や政治力や科学技術力や教育など「国力」を構成する「ハード・パワー」の実際のデータをチェックしてみると、軒並み「下降期」にあることを理解しました。これらを知った時のショックはとても大きいものがありました。

さらに、「国力」を構成する「ソフト・パワー」のうちの「国家戦略」となると、戦後の我が国では検討された歴史がなく、戦前の歴史を辿ってみても、明治維新の「富国強兵」「殖産興業」しかないことも知りました。これも我が国の「国柄」なのでしょうが、戦前は国家目標として「国防」、つまり「安全」重視であり、戦後は「経済」、つまり「富」重視と、著しくバランスを欠いていたこともわかりました。

戦前の関係者の名誉のために少し補足しますと、戦前も「国是」とか「国家目標」とか「国家戦略」という概念はあるにはありましたが、それらよりも「国防」の方が上位に位置していたなかで、4度にわたる「帝国国防方針」が定められ、紆余曲折の中、実際の「国家運営」がなされてきました。なかには、「国是」や「国家戦略」が省略され、「国防の本義」として要約された方針もあったようです。

余談ですが、戦後は「国力」のみならず、「国益」「国防」、もはや死語になっている「国体」など、「国」を冠した言葉が公の場で使われなくなって久しいですが、昨年末に「国家安全保障戦略」とともに策定された「国家防衛戦略」の前身は「防衛計画の大綱」と呼ばれていました。その源流は、昭和32年に策定された「国防の基本方針」でした。

「国防の基本方針」は、米ソ対立の冷戦が激烈さを増したこともあって、「安全」をアメリカに丸投げし、経済一辺倒の「吉田ドクトリン」の中で、“せめて「基本方針」ぐらいは”と考えて策定したのでしょう。アメリカから圧力もあったのかも知れません。わずか8行の中に4つの基本方針を述べているだけなのですが、当時の状況からするとなかなか内容にある方針だったと考えます。

しかし、いつの間にか、その「国防」から「防衛」とか「安全保障」と“柔らかい表現”になり、長文で複雑な計画にもなって、その上に「基盤的」などの形容詞がつけられたこともあって、「防衛力」の“本来あるべき姿”から離反し続け、その分、“ツケ”が溜まってきたと思えてならないのです。私は、昭和32年以来一貫して「国防」という言葉を使い続けていたら、現在の「防衛力」はその名称も中味もかなり違っていたものと考えるのです。

話を戻しますと、この「国家戦略」については、その策定の必要性を訴え、具体的な提言を試みた書籍は、私自身は1冊しか発見できず、驚きと同時に寂しさを覚えました。

それでも「国家戦略」については、誰かが強いリーダーシップをとって、知恵者を数人集めて研究させれば、その策定は不可能ではないと考えますが、大方の国民の精神を集大成した「国家意思」の統一となると一層難しいと考えました。

しかし、研鑽を重ねるうちに、我が国の憲法の精神ともいうべき「基本的人権」、しかもそれを「公共の福祉」に使用する「責任」があるというくだりは活用できると閃きました。なぜならば、「強靭な国家」を造ること、そしてそのために「国力」を増強することは、「公共の福祉」そのものであると考えたからでした。

つまり、現憲法下においても、憲法の精神にのっとって「国家意思」を統一しつつ、「強靭な国家」を造ることは可能と判断したのでした。なにしろ残された時間は短く、憲法改正の議論をする余裕がないと考えていますので、この発見は嬉しいものがありました。

しかし、このようなことについて理論的には実行可能としても、だれが国家・国民の先頭に立って舵取りをするか、と問えば、それこそは国民に後押しされた「政治家」の仕事であることには論を俟たないでしょう。

本メルマガでは、「国力」の「ハード・パワー」の一要素として「政治力」を取り上げ、素人の域を超えない範囲で現状分析を試みました。まだまだ言い足りないことはあるのですが、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』の中の最後の文章、私が最も感銘を受け、納得した部分を(少し長いですが)紹介しておきたいと思います。

 「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、固い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成もおぼつかないというのはまったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけでなく、英雄でなければならない。(中略)自分が世間に対して捧げようとするものに比べ、現実の世の中が――自分の立場から見て――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」

このような気骨があり、政治を行なうことを「天職」と認識している政治家(達)の出現が待望されます。最近の政治家の不祥事についてのコメントはあえて避けますが、政治家の先生方にこの一文を読ませてあげたい衝動にかられます。

一方、民主主義国家である我が国の未来は、つまるところ、マックス・ヴェーバーがいう、政治を「天職」と認識している政治家(達)を輩出する国民にかかっているとも言えるでしょう。国民の側もカーライルの「この国民にしてこの政治あり」をしっかり認識する必要があるのです。

戦後の歴史教育を批判した1冊として有名な『日本の歴史の特性』も紹介しましたが、著者の歴史家・坂本太郎氏は、「どこの国の教科書も、自国の立場を正当化し、過去を美化していないものはない。ひとり日本だけ自国の立場を冷淡に批判するというのは常識にはずれている」として、「青少年の心に訴え、明日の活躍への希望をつちかうものは、愛情に根ざした歴史でなければならぬ。2千年もの長い間、1つの民族をもって1つの国家を造り、輝かしい平和と独立とを保ちつづけた日本の歴史を、世界一の存在だと知るとき、国家愛、民族愛、伝統愛は、油然として沸き起こらねばなるまい、と思うのである」と結んでいます。

坂本氏のこの指摘は、まさに“我が意を得たり”であり、改めて、「歴史のつながり」の重要性を訴えるものと考えます。過去・現在・未来はつながっています。改めて、“過去は変更することはできませんが、未来は創り出せる”のです。

そして「国家100年の計」とはこのようなことを指すのだろうと考えます。私は、「我が国の歴史を振り返る」として主に「国防」の分野の歴史を振り返り、史実を知ってから先人たちに敬意を表している自分自身を発見しました。それもあって、「我が国の未来を見通す」としてメルマガを発信し続けながら、現在の我が国の課題を引き起こした最大の要因は、戦前の歴史を否定し、歴史を分断したことあるのではないだろうか、と考えるようにもなりました。

百田尚樹氏は、近著『大常識』の中で、「日本人の平和ボケは不治の病」と断定していますが、その原因こそ、戦前の歴史を否定し、あえて学ぶことを避けてきたことが、多くの日本人から“現実をしっかりとらえる”知性を奪って、それが「平和ボケ」につながっていると思えてなりません。今こそ、しっかり軌道修正する必要を感じます。

また、元国連職員の谷本真由美氏も近著『世界のニュースを日本人は何も知らない』の中で面白い指摘をしています。つまり、「日本は世界の文化の最終終着地である」として、日本は、国内文化のみならず、“イギリスや中国国内などもはや(現地には)存在しないそれぞれの伝統文化さえも大事にしている”「良さ」があると解説しています。このような日本文化が将来、“世界を救う”ことにつながる可能性もあるでしょう。

このようにあれこれか考え、悩んだ結論として、我が国の「統治のかたち」あるいは「国のかたち」は現在のままでよいのだろうか、という点については今も頭に残ったままです。本文では少し触れましたが、結論はどうあれ、そのための憲法改正を含み、勇気を振り絞ってその議論に立ち向かうのは、戦後世代に課せられた「宿題」のような気がするのです。

260年あまりの徳川幕府に終止符を打った幕末の志士たちは、吉田松陰が唱えた「草莽崛起」(そうもうくっき)〔志を持った在野の人が立ち上がり、大きな物事をなす〕によって心を動かされ、命を賭して行動したと言われます。

講話の行脚をしている時、偶然にも何人かの人が熱い気持ちを込めて「草莽崛起」という言葉を口にしておりました。現在、本当に「明治維新」ならぬ「令和維新」として、心ある在野の人が立ち上がる時が到来しているのかも知れないのです。後世に我が国の有形無形の”資産“を残すために戦後世代が覚醒して立ち上がり、やがて「巨大なパワー」に成長する・・・本メルマガがそのような輪が広がることに少しでも貢献できるのであれば本当に望外の喜びです。

12月12日は「漢字の日」でした。今年の漢字は「税」だそうで、京都清水寺の森清範貫主が本殿の前で揮毫されているお姿を拝見しました。実は、大阪の講話の折に、京都清水寺に立ち寄って貫主にご挨拶させて頂く機会を得て、漢字1文字を揮毫していただきました。

私は、「我が国の未来」が「明るく、輝かしい未来」になることを心より祈念し、「輝」という漢字を揮毫していただきました。私自身は今なお、心ある多くの日本人が覚醒し(「荒魂」が眠りから覚め)、力を合わせて、様々な障害を乗り越え、必ずや明るく、輝かしい未来を創り出す、そのような日本の「国柄」は変わらないと信じていることを付け加えておきたいと思います。

まとまらない「あとがき」になってしまいましたが、これをもって「我が国の未来を見通す」完結です。読者の皆様、長い間、お付き合いいただき、本当にお疲れ様でした。元自衛官としてあるまじき暴言の数々について心よりお詫び申し上げ、重ねての御礼とさせて頂きます。

最後になりましたが、毎回、私の誤字脱字だらけのつたない原稿に目を通していただき、メルマガ軍事情報と仲介の労を取り続けて頂いた並木書房の奈須田社長、そして、毎回のように、冒頭で過分なご紹介を賜り、時に極めて適切なコメントや叱咤激励を頂いた上、「我が国の未来を見通す」のバックナンバーも残して頂いているメルマガ軍事情報オーナーのエンリケ氏に心より感謝申し上げ、結びと致します。長い間、本当にありがとうございました。(おわり)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)