我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(91)『強靭な国家』を造る(28)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その18)

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我が国の未来を見通す(91)『強靭な国家』を造る(28)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その18)

□はじめに

 11月1日、イスラエルのガラント国防相は、「戦争は勝つことが目的でそれ以外は二の次だ。反対する国があってもハマスを倒すまでは続ける」として、ある程度の犠牲はやむを得ないとの考えを示しました。イスラエルの歴史や国柄、それらを踏まえ、このたびの事案に関するイスラエルの並々ならぬ“決意”が現れていると解釈しています。

一方、連日の空爆についてはパレスチナ側の情報戦の効果もあって“やり過ぎ”との印象を与えていますが、地上攻撃への慎重な移行やその後の進捗などからすると、人質解放や人道支援については、イスラエルとしてできる範囲で可能な配慮をしていることもわかります。

間違いなく言えることは、これが「戦争」であり、これまでの人類が行なってきた「戦争」と何ら変わることがないということでしょう。変わっているとすれば、戦場の映像がほぼリアルタイムに世界中に発信されることですが、私たち日本人は、このような「戦争」によって引き起こされる惨禍をしっかり目に焼き付けると同時に、「戦争」の本質をしっかり理解すべきなのです。

多くの日本人には、戦後70数年の歳月が流れたこともあって、その本質を判断ができる能力を失って、もはやDNAのかけらも残っていないかも知れません。しかし、国として生き延びるために忘れてはならない「本能」のようなものを、その良し悪しは別にして今のイスラエルは示しているのです。

私は、自衛官として軍事を学び、歴史も研鑽したこともあって、どちら側にも偏ることなく冷静に“現実”を直視する癖がついてしまいましたが、週末のテレビなどでは、一部の有識者などがイスラエル批判で騒ぎ立てることでしょう。

イスラエルとハマスの戦争は、その本質においてウクライナ戦争と類似の部分が沢山あるとも考えます。国際法の解釈の議論に終始したり、壊滅的な街並みや民間人犠牲者の報道などからヒューマニズム的な感情に流されるだけに留まらず、我が国周辺で同じような惨事が起きないようにするためにはどのようすればよいか、などにまで思いを巡らし、“未然防止”を重視した「備え」の重要性について再認識してほしいと願っています。

本当に考えたくはないですが、“未然防止”、つまり「抑止」を万全にしなければウクライナやガザ地区と同じような惨禍が我が国の未来にも降りかかる可能性もあることを深く理解する必要があり、この2つの戦争をおおいに“他山の石”とすべきなのです。

▼「国家戦略」の総括

さて、前回紹介しました第1から第5の指針などを柱にしながら、「国家戦略」を策定しようとすると、なかでも第5の「統治のかたち」の議論において、「現憲法下で果たして実現できるのか」との“壁”にぶつかることは必定でしょう。

『日本の大戦略』においては、(たぶん意図的と推測しますが)「憲法」とか「憲法改正」などとの言葉は一度も出て来ません。とはいえ、「現憲法下で大戦略を実現できる」とも書いていません。

「その代わり」と私は思っていますが、文末に、『宰相 吉田茂』の著者・高坂正堯氏の言葉として「政治は技術である。人間の持つ選択肢は限られているが、現実の可能性にしばられず、理論的に無数に存在する可能性に目を向けるべきであり、そうした可能性が現実の選択の対象になるように努力してゆかねばならない」との含蓄ある文章を紹介しています。

そして「国際社会に生じつつある大変動を的確に見極めながら、私たち日本人が大戦略を現実のものにして、将来に向けた『体制を作る』という難事を引き受ける意志を持つ必要がある」で結んでいます。

この場合、「体制を作る」とは「我が国が向かうべき『統治のかたち』を定める」とほぼ同意義であろうと考えますが、それが現憲法の枠内で可能か否かの議論についてはみごとに避け、読者の判断に委ねられています。

私自身は、実際に「国家戦略」に盛り込む内容、そしてそれに基づく各種政策については、現憲法の範囲内に留めるか否かによって大きく選択肢が分かれると考えます。つまり、「我が国が向かうべき方向」を現憲法の範囲内で留めようとすると、これまでの各種政策の“延長”の範囲に留まってしまうのは目に見えています。

問題は、それによって、予想される様々な「暗雲」に立ち向かってそれらを克服しつつ、“我が国の未来が担保されるか”ということにあると考えますが、その議論を突き詰める必要があり、結果として、「憲法改正」の問題は避けて通れないと考えます。

「憲法問題」は、「国家戦略」とは別のステージで議論されるのかも知れませんが、その場合にあっても、様々な先入観やこれまでの歴史的・政治的経緯のようなものは“度外視”して、「憲法はいかにあるべきか」の原点に立ち、主義主張などの感情に流されず、客観的な視点で徹底的に議論をしてほしいと願っています。

なかでも、現憲法をこのままの形で後世に残すメリット・デメリットについては、様々な角度から幅広く議論し、国民投票による支持を得るためにも、明確に結論づける必要があると考えます。

小室直樹氏が提唱する「とにかく歩き出す」きっかけはこのあたりにあると思います。現時点の憲法改正で議論されている「憲法9条の見直し」などに留まっているのは、その動機において“あまりに了見が狭い”と言わざるを得ず、ぜひとも「統治のかたち」や「国の形(あるいは国柄)」などまで踏み込んで、「憲法改正」ではなく、「新憲法を制定する」との視点に立って憲法を論じてほしいと願っています。

さて、「国家戦略」を細部まで突き詰めると際限がありませんので、これくらいにしたいと思います。「国力」を構成する「ハード・パワー」に対して「ソフト・パワー」の一つとしての「国家戦略」の網をかけ合わせることによって、それぞれの要素のバランスを取りつつ、個々に最適解を求める際に発生するような致命的な欠陥を是正することができると考えます。

▼「国家意思」と何か?

 

実はもう一つ、大きな問題が待ち構えています。仮に、各界の少壮の若手人材を参集してシンクタンクを作って検討させ、画期的な「国家戦略」案を策定したとしても、主義思想や価値観が異なり、様々な既得権を有する政治家や官僚をはじめ、大多数の国民の意志が“固まり”となって、「国家戦略」、つまり「我が国が向かうべき方向」を容認し、国を挙げて、そこに向かって団結して努力するか否かということです。

これについては、「国力」を構成する「ソフト・パワー」のもう一つの要素としての「国家意思」に包含されるものと考えます。

私は、第75話で「国力」を構成する「ソフト・パワー」としては、レイ・クラインの定義を参考に、「国家戦略」と「国家意思」に分けて定義しました。その理由の一つに、一般的には「国家戦略」は、“比較的長期間にわたって一貫した不変のもの”との特性を有しますが、「国家意思」は、一般には“比較的短期間で変わる”という特性を有することから、あえて分けて考える必要があると判断したことにあります。

一例を挙げれば、大東亜戦争時の発端となった「真珠湾攻撃」によって、それまで非戦意識が蔓延していたアメリカ人に日本と戦う価値と理由を与えてしまったように、あるいは、今回のハマスのテロによって、イスラエル人をして(現時点では人質解放が最優先と見受けられるものの)幾多の犠牲を乗りこえて“ハマス打倒”で団結させているように、ある“事象”によって「国家意思」は時に豹変する場合があるのが常です。

民主主義国家の我が国の「国家意思」は、すなわち大多数の「国民意志」の集大成であり、多世代にまたがる大方の国民の“精神”ということもできるでしょう。

歴史を振り返ると、「国家意思」の豹変は、我が国の“得意芸”でもあります。明治維新においては、260年に及んだ徳川幕府をあっさりと見限りましたし、戦後は、GHQが言うままに、天皇陛下には「象徴」という地位に鎮座していただき、戦前の“行い”については「悪かったのは軍人、自分たちは少しも悪くない」と開き直るとともに、戦後、安全保障は米国に丸投げして、ひたすら経済繁栄に勤しんできました。

しかし、明治維新の後と戦後では、我が国を取り巻く環境もそれぞれの環境下における国家としての「生き様」も180度違っていることは取り上げるまでもないでしょう。

いみじくも、今の我が国は、『国民安全保障国家論』でいう「戦後の形」に留まったままであり、その骨幹を形成している「国家意思」についても、戦後70数年に及ぶ長い間、これを豹変させるような特段の事象が発生しなかったためか、変わることなく残ってしまいました。

この間、このような“現状”に危機意識をもって、身を呈して警鐘を鳴らす有識者などもおりましたが、真剣に耳を傾けることもなく、私たち・日本人は、戦後、自らの精神などについて一度も顧みることなく、手つかずのまま放置してきました。

そのツケが一挙に噴き出しているのが(例示はあえて省略しますが)“最近の日本”であり、放置すれば、様々な混乱が拡大し、国家を挙げて路頭に迷うような“近未来”が待っていると予測します。

私は、もう「待ったなし」のところまで来ている、つまり、“現状の「国家意思」から脱皮できるか否かに我が国の未来がかかっている”と改めて断言したいと思います。

すなわち、大方の“能天気な国民の精神”を、“戦争や天変地異のような外圧に委ねることなく”「内側からの改革」として変えていけるか否かに、我が国の未来や次世代に残す「資産」の命運がかかっていると考えているのです。

▼「国家意思」を変える“処方箋”

 

前にも、「国家意思」の脱皮こそが最も「任重く道遠し」とその難しさについて感想を述べましたが、その“処方箋”を提案する段階に到達して、またまた悩みが沸騰しています。

私はほぼ20年にわたって、我が国の歴史、特に国防史を自学研鑽した結果、「歴史から学ぶ知恵」として、「孤立しないこと」「相応の力を持つこと」「時代の変化に応じ、国の諸制度を変えること」に加え、4番目に「健全な国民精神を涵養すること」を掲げました。

今さら「歴史を学ぶ」意義や必要性についてなかなか理解してもらうのは難しいのですが、歴史を学ぶと、その時代時代にそこはかとなく、当時の日本人が持っていた「愛国心」「誇り」「道徳」「文化」など、まとめれば「日本(人)の心」のようなものに出くわします。これらについては、巷の脚本家などの歴史に対する理解力や「歴史観」、さらにはドラマが“受けるか否か”を優先するからでしょうか、大河ドラマなどではほとんど取り上げらないと思っています。

私自身は、将来の厳しさが予想される安全保障環境以外に、少子高齢化の実態と将来予測、食料やエネルギー自給率が極めて低いことなど、我が国の未来に待ち構える「暗雲」を知った時、自衛官の「職業病」とでもいうべき、“最悪の状態を想定した、とてつもない危機意識”を持つに至り、いかにこれらを乗り越えるかについて頭を悩ます日々が続きました。

悩んだ末に閃いたのは、そのためには大多数の国民の“覚醒”が必要不可欠であることでしたが、しからば、“いかに覚醒するか”について再び悩むことになりました。その結果、今の日本人の精神を形成した「出発点」に戻り、そこから出直すのが最も近道で、かつ唯一の道ではないか、と考えるようになり、「我が国の歴史を振り返る」と銘打ってメルマガを発信するきっかけの一つにもなりました。

あれから5年あまりの歳月が流れました。そして、我が国の将来の姿を徹底して解明するため、「我が国の未来を見通す」としてメルマガを発信し続け、我が国の未来を救うためには「強靭な国家をいかに造るか、その鍵は『国力』の増強にある」ところまでたどり着きました。

そして、「国力」を新たに定義し、「ソフト・パワー」の要素として「国家意思」の位置づけを明確にしてみて、改めて「『国家意思』こそが『国力』の出発点でもあり、最終ゴールでもある」との思いが深まりました。

奇しくも、安倍元総理が「教育基本法」を戦後始めて改正し、その第2条の「教育の目標」に「豊かな情操と道徳心を培う」「自主及び自律の精神を養う」「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する」「環境の保全に寄与する」、そして最後に「伝統と文化を尊重し、我が国の郷土を愛する」などが具体的に掲げました。

また近ごろ、中国においては、子供や家庭における愛国教育を強化するための「愛国教育法」が可決されたことがニュースになりました。これにはしっかりとした政治目的があり、違反した場合の罰則規定なども盛り込まれて、実際に“強制”されるのでしょうが、我が国の「教育基本法」は、その性格が全く違うのは言うまでもありません。

個人的には、中国のように、ある程度徹底して「教育の目標」を実現する必要があると考えますが、「改正教育基本法」の結果を受けて、子供たちがどのように育っているのか、今後どうなっていくかは未知数ですし、「教育基本法」とは縁のない大人たちを対象にして、基本法に謳われている精神を醸成する機会があるのかと考えると少し寂しいものがあります。

何度も取り上げました『日本の大戦略』においても、「知識創造の促進」を掲げ、それによって「国民の力、社会の力を回復する」ことを提言していることを付け加えておきましょう。

やはり、我が国の様々な現状やこのままの状態を放置した場合の将来の姿、そしてそれを回避するためにどうすればよいか、などを訴えつつ、だれかが強いリーダーシップを発揮して“旗振り役”となって、国民をリードする必要があると考えます。

前にも紹介しましたように、近ごろ百田尚樹氏らが中心となって産声を上げた「日本保守党」などは、そのような役割を担う意気込みのようですが、今後、どれほどの「求心力」を獲得できるか、言葉を代えれば、我が国の未来に危機意識を持ち、「教育基本法」でいう「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する」との意欲を持つ、まさに戦後世代の有権者が増えて来るかどうかにかかって来るのでしょうが、現時点では不明と言わざるを得ません。

前述のように、我が国はある日突然“豹変”する国家であるとの本性に賭けて、様々な環境を醸成していく必要があるのでしょうが、さりとて、“登山道を一つに絞らない”ことも重要と考えます。人々の気づきのきっかけとなる要因は様々と思うからです。

本メルマガも微力ではありますが、読んでいただいた読者の皆様に“せめて問題意識とか危機意識を持っていただきたい”そして“戦後世代の責任として、後世に我が国の「資産」を残すためにそれぞれの立場で尽力してもらいたい”との思いを込めて毎回したためているのです。

今回はこのくらいにして、次回、「『国家意思』として目指したいこと」などについて分析しつつ、その後、「国力」、さらには第4編「『強靭な国家』を造る」を総括したいと考えています。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)