我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(70)『強靭な国家』を造る(7)歴史から学ぶ「知恵」の適用(その2)

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我が国の未来を見通す(70)『強靭な国家』を造る(7)歴史から学ぶ「知恵」の適用(その2)

□はじめに

 ロシア・ウクライナ両国で軍事作戦に関わっている人は、このような事態の発生について常に頭にあったことと推測していますが、“悪夢”が現実のものになりました。6日、南部へルソン州の巨大ダムが何者かによって破壊され、河川の下流地域のインフラに甚大な被害が発生しているようです。このダムは、上流のザポロジェ原発の冷却水取水の役割も担っていることもあって、ダムの決壊の影響は計り知れないものがあります。

犯人はどちら側か、故意か過失か、折からの増水の影響による自然決壊なのか、様々な見方があって8日時点では不明のようですが、ダムがあるドニエプル川の西岸はウクライナ軍、東岸はロシア軍が占領しているという微妙な場所に位置しているおり、被害地域は両岸に及んでいることもあって、真相を見極めることを難しくしているようです。もし人間の故意の“しわざ”だったとすれば、地上から宇宙まで何重もの監視態勢の中での“犯行”であったことから、周到な計画や準備のもとで、隠密で巧妙な手段で実施したことでしょう。

一般的な見方をすれば、ウクライナにはダムを攻撃する大義名分もメリットもなきに等しく、ダムの下流地域の混乱に加え、万が一の場合、自国内の原発の冷却ができなくなる可能性をあるような軍事作戦は、“軍事的合理性からはあり得ない”と考えるべきでしょう。

一方、ウクライナの反転攻勢を間近にした現在、ウクライナ国内の長期的な混乱に加え、反攻を阻止するため、巨大な河川障害の設置という意味でのメリットは計り知れないものがあります。ダムはロシアの管理下にあったので、ロシア側であれば、隠密な手段による破壊作戦を遂行できたと推測できます。

これまでもダムに対する砲爆撃などはあったということなので、それらによるダムの損傷が折からの増水に耐えられなくなって“決壊”したという見方もあるようですが、いずれにしても、本事案は、今後の台湾問題や我が国の防衛などを考える上でとても参考になることは間違いないと考えます。重大な影響があるインフラへの攻撃の効用に加え、巧妙な手段で攻撃に成功すれば、「相手がやった」と非難することによって責任逃れすることができる“手口”としても戦例になることでしょう。

各国の間には「ここまでやるか」とロシアを非難する声が多いようですが、ウクライナ戦争はまたひとつ「ラダーが上がった」と認識する必要があると考えます。今後、実際にウクライナ軍の反攻が成功し、その過程でロシア側が再び“許容限度を過ぎた”と認識した時には、さらにラダーが上がることが懸念されます。その段階でロシアが強硬手段の行使には至らなくとも、事態がここまで来ると、双方の歩み寄りによる停戦合意は考えられず、本戦争の解決はさらに遠のくことでしょう。

国際社会は、ウクライナ戦争は“よほどのことがない限り、数年単位で続く”ことを覚悟しつつ、食料、エネルギー、そして安全保障体制など、あらゆる既存の体制や慣行を見直す必要があるでしょう。その中には当然、日本も含まれることは間違いありません。歴史は、1つの事件や事案が引き金となって、その前後に大きく“様相”が変わることを教えています。その意味でも、“最悪の事態”を冷静に見積もり、諸準備を怠らないことが肝要です。

▼「相応の力を持つこと」――少子化対策

さて前回に続き、歴史から学ぶ知恵の第2は、「相応の力を持つこと」を挙げました。国防上は、自衛隊の能力増強に加え、核抑止体制の強化、政治家や官僚たちの“能力アップ”などまで提言しましたが、私自身は、書籍やメルマガの中では、AIとかドローンなど、昨今の軍事技術の進歩に絡むものにはあえて触れませんでした。

ウクライナ戦争や昨今の周辺情勢の厳しさもあって、昨年末に「戦略3文書」がまとめられ、依然として不十分な点はあるとしても、画期的な防衛力増強に向って舵を切ることが明確になりました。OBを含めて有識者たちが様々な角度から、我が国の防衛態勢のあるべき姿について言及していますので、詳しくは省略します。

一方、二言目には「外交努力で」と発言する向きもありますが、「外交の根幹に国防(軍事)力がある」という、人類の歴史の中でも、現在も、これから先も変わらない、“まぎれもない事実”があることについて、このような考えを持つ人たちはもっと学習し、ぜひ理解してもらいたいと願っています。

戦後の我が国にあって、国防とか安全保障の問題とは全くかかわりのない生活をしておられる一般の国民の皆様はしかたないとしても、大学までの高等教育を受け、現実の国際社会などに精通しているインテリとか有識者とかいわれ、国や社会のリーダーとして活動している人たちがなぜこの分野のリテラシーが低いのか、言葉を代えれば、なぜ“誤認識”しているのか、なぜ“軽率”なのか、なぜ“甘い”のか、いつも理解に苦しんでいます。

「国民の精神」については、後日、詳しく述べるつもりですが、このような大方の国民の風潮とか認識は、国防などに限った問題ではなさそうです。我が国の未来に横たわる「暗雲」に照らして考えると、「相応の力を持つこと」をいう観点から“あらゆる分野に手を打つ”時期に来ていると私は考えます。

まず「少子化対策」です。政局でもすでに話題になっていますが、早急な対策の必要性を訴えるショッキングなデータが6月2日、厚生労働省から発表されました。令和4年の人口動態統計(概数)によれは、出生率(正確には、1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率)が、前年比0.05ポイント減の1.26となり、平成17年と並び過去最低になったということです。1年間に生まれた子供の数も77万747人(前年比4万875人減)だったようです。

コロナ禍も影響もたぶんにあったとはいえ、1年間の出生者数が80万人を割ったのは、“明治32年(1899)年に統計を開始して以来、初めて”だったようです。

改めて、我が国は人口動態を振り返ってみますと、江戸時代はさほど人口増はなかったのですが、明治維新の頃は3330万人でした。その後、急激な人口増となって、大東亜戦争においては約300万人の犠牲者が発生したとはいえ、終戦時には約7200万人を維持していました。戦後は、ベビーブームなどもあって急激な人口増が続き、2010年には1億2800万人を数えましたが、その後は、減少の一途をたどっています。

戦後の出生率も昭和40年代後半の「第2次ベビーブーム」がピークとなって、それ以降は“人口を維持できない”2.0以下に減少し、平成に入ると1.5を切るようになりました。そして平成17年には過去最低の1.26まで落ち込み、その後15年あまりは1.3台をキープしていましたが、昨年は、ワーストタイの1.26になったということのようです。

出生率にからむ最近の傾向としては、婚姻数は前年比3740組増の50万4878組で、第1子を出産した時点の女性の平均年齢は30.9歳とこれも過去最高水準だったようですので、女性の社会進出の増加などから晩婚化あるいは晩産化が進んでいるのでしょう。

出生率を県別にみると、最も高い沖縄県は1.70もあり、宮崎県(1.60)、鳥取県(1.60)と続きます。逆にワーストは、東京都の1.04、次いで宮城県(1.09)、北海道(1.12)の順と、一般には“西高東低”となっているようです。出生率に関しては「沖縄に続け!」と叫びたいと思いますが、この地域差がどこから生まれるかについても真剣に考えるべきでしょう。

長くなりました。コロナ禍から開け、様々な少子化対策が功を奏して令和5年は回復傾向に転ずることを切に祈りたいと思いますが、少子化が進展する背景は複雑で、根が深く、各方面に及び、そこから脱するのは容易なことではないと考えます。

しかし、今こそ私たちは、“少子化の先に待っている「未来」がいかにすさまじいものか”について、改めてよくよく認識する必要があるのです。結論から言えば、「人口減こそが国家の衰退に繋がる最大の要因」との認識を強く持ち、政府主導のもと、国を挙げてキャンペーンを展開し、かつての「産めよ!増やせよ!」のような「文化」を作り、ここ数年間に新たな“団塊の世代”の出現を目指す必要があると考えます。

そして、そのような大方針の下で、考えられる、あらゆる障害を排除することを政策の最優先とすべきなのです。これまで「少子化対策」で、政府は3度チャンスを逃し、「敗北した」と分析されています(産経新聞:シリーズ「少子化対策の行方 未来を選ぶ」より)。

1回目は、出生率の減少が始まった1970(昭和45)~80年代、2回目は、平成元年の丙午(ひのえうま)に出生率1.57を記録してその後も回復しなかった1990年代前半、そして、3回目は第2次ベビーブーム世代が出産適齢期を迎えた好機を活かせず、出生率の低下傾向に歯止めがかからなかった1900年後半~201年代前半です。

その要因の1つとして、「少子化対策は目の前の票にならない」が挙げられています。いかにも我が国の政治(家)らしいと納得してしまいますが、このような問題についても、“国の舵取りの根幹の部分が先送りされる”との根本的な“欠陥”が我が国の政治体制や国民の意識に中にあるということではないでしょうか。

ただ、このような特集が新聞紙上に掲載されるのはとても良いことであると思います。私は、4回目の敗北を繰り返さないために最も大事なことは、「いかに若い世代のモチベーションを上げるか」にあると考えます。誤解を恐れずに極端な提言をすれば、某国のように、「子供を3人産めば家が建つ」「2人産めば車が買える」くらいの“超異次元”の国家投資をすべきでしょう。

若者の結婚観についても再考すべきでしょう。すでに紹介しましたように、我が国の非嫡出子は2.3%程度しかありません。近年、非嫡出子の増加が世界的傾向となっており、フランスの約60%を筆頭に、スウエーデンやデンマークなどが50%を超え、英国48%、米国40%、ドイツ36%など先進国は軒並み30%を超えています。

その背景は2つあると言われています。1つ目は、“結婚に伴う法的保護や社会的信用が結婚しなくとも与えられている”という側面と、もう1つは、若者が未婚でも子供を産めば、“国や社会が子育て支援をする”という体制が出来あがっているということです。

我が国の伝統的な結婚観のようなものが大事なことについては言うまでもありませんが、少子化を回避し、国力を維持するために、個人の“生き方”に寄り添いつつ、他の国々はそこまで真剣に取り組んでいるという事実を知る必要があるのです。その上で、我が国にとっては、どの部分を、どの程度、適用(許容)するかについては、さらなる知恵を出しながら、国民に問えばよいと考えます。

最近、LGBT法案が話題になっています。それぞれの“生き方”を否定するものではないですが、我が国の未来のために、という観点に立てば、シングルマザーや非嫡出子の保護もまた重要なのではないでしょうか(事柄の性格上、ここまででとどめておきます)。

外国人の移民政策も様々な理由で遅々として進まず、我が国の国柄からその拡大をあまり期待できない中にあって、“日本人を減らさない努力”を最優先して取り組む方が現実的であるし、少子化対策上の近道であると考えます。

少子化に伴う人口減は労働力減少に直結し、そのままGDPの減少に繋がります。労働力の減少を補うものは、外国人や高齢者の雇用に加え、女性の雇用拡大、つまり女性の活躍推進しか手立てがありません。残念ながら、このことが女性の未婚化・晩婚化・晩産化に繋がっているという事実もあります。

この悪循環を断ち切るための施策も必要と考えます。このためには、国や地方自治体の力では限界があり、各企業の力も借りなければなりません。現在、「SDGs」のような国連の呼びかけに賛同する様々な活動が展開されていますが、優先順位が違うと考えます。「世界で最初に飢えるのは日本」が取りざたされているような昨今、まず、「自国の生存のために国を挙げて何をすべきか」をしっかり議論し、そこに最優先して立ち向かうことが大事なのではないでしょうか。

▼「相応の力を持つこと」--農業・食料問題

 

そのような意味で言えば、食料安全保障もまた「相応の力を持つ」ために“待ったなし”です。

「農は国の本なり」との言葉のように、国内の食料や農業を守り、国民の命を守ることは、不測の事態に国民の生命・財産を守る国防と同様、国家の最優先事項であることは論を俟たないと考えます。

農業を守り、食料の自給率を上げる必要性とその方策についてはすでに述べましたが、それらを実現するためにこの分野も“発想の転換”が必要なことは間違いないでしょう。

『世界で最初に飢えるのは日本』から外国の例を紹介ますと、スイスでは国産卵が1個あたり60~80円と輸入品の何倍もするとのことですが、国産卵を買っていた小学生に質問すると「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのお陰で私達の生活も成り立つのだから、高くても当たり前でしょう」と、いとも簡単に答えたとのことです。翻って、日本の小学生はおろか大人であっても、このような答えを返すでしょうか。この違いはどこから来るのでしょうか。

水田には、オタマジャクシなど様々な生き物が棲み、最近、農薬で減ったとはいえ、生物の多様性が保たれています。また、ダムの代わりに貯水する洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、さらには、水田の蒸散によって気温上昇抑制効果もあり、水田地帯は市街地と比べて日中の最高気温が2℃ほど低くなることも分かっています。つまり気候変動対策にも役立っているのです。

これらの恩恵が米の値段に反映されているのでしょうか。繰り返しますが、我が国は「補助金が高い」と批判されてきた歴史を有しますが、世界の常識は「農業にただ乗りしていけない。農業にもっと払おうではないか」という感覚が常識になっています。だから、農家もそれぞれの果たす役割を認識し、誇りをもって生産に励んでいますし、我が国のような「農業離れ」のような現象も起きないのだそうです。

私たち日本には、昔から食事の前に「いただきます」、食事後に「ごちそうさまでした」と唱え、食べる物とそれらを生産する人たちへの感謝の気持ちを表す習慣があります。アメリカなどでも食事前に祈りをささげる習慣がありますが、先日、チャットGPTに「『いただきます』に相当する英語は何か?」と尋ねたところ、「簡単に言えば、Thanks for the food(meal).だ」という答えが即返ってきました。

言葉の文化の違いからか、「いただきます」とはかなりニュアンスが違うとの印象を持ちましたが、家庭や学校で形だけは唱えても、“そこからなぜスイスの小学生のような認識を持つ人が増えないのだろうか”と考え込んでしまいました。

前書の著者・鈴木氏は、「すぐにでもできる農業の抜本的救済策は学校給食費の無償化だ」と提言します。現在、すでに無償化している自治体もあるようですが、給食費は平均で小学校が月額4343年、中学校が4941円ほどです。まず、地域の農家に遺伝子組み換え農産物や慣行農業である農薬を使用する生産から有機栽培を移行してもらい、生産した有機栽培食料を学校給食に納入することで需要の「出口」を確保します。遺伝子組み換え食物や農薬被害のから解放され、地元のおいしい有機作物を使った給食を提供することによって、子供たちへまたとない「食育」になるのです。

児童や生徒の1人当たりの給食費の年間単価は小学校が4万7750円、中学校が5万4312円ほどで、現在の総児童・生徒数から総額は4800億円の税金ですむと算定されています。学校給食を公共調達にすることは、親の負担が減ることで少子化対策にも繋がります。現に給食費を無償化している自治体にはそのまま続けてもらい、無理な自治体には国が支援すればよいのです。

我が国は、“一つの問題解決のために、一つの切り口からしか攻めない”という「縦割り行政」に慣れてしまい、疑問すら感じなくなっている“現状”を一度、原点に戻って見直すことによって、「様々な切り口や解決策がある」ことに気づくことでしょう。国会の議論や政策の反対側にまわるマスコミも、口を開けば「財源」とか「税金」の話題ばかりに終始して、思考が停止しているところに最大の問題があるのではないでしょうか。

同様なことは気候変動・エネルギー問題についてもいえることです、次回取り上げましょう。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)