我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

Home » 『強靭な国家』を造る » 我が国の未来を見通す(64)『強靭な国家』を造る(1)「少子高齢化問題がもたらすもの」(補足)

我が国の未来を見通す(64)『強靭な国家』を造る(1)「少子高齢化問題がもたらすもの」(補足)

calendar

reload

我が国の未来を見通す(64)『強靭な国家』を造る(1)「少子高齢化問題がもたらすもの」(補足)

□はじめに

 今回からメルマガ第4編を再開させていただきます。しばしの「充電期間」を頂いている間に、国内外で様々なことが発生しました。個人的に最もショックを受けたのは、何と言いましても、4月6日に発生した沖縄・宮古島近海における陸上自衛隊第8師団所属ヘリコプターの事故でした。

私自身は、若い時分に航空宇宙工学、なかでもヘリコプター工学に関心を持って学んだことや現役時代にUH60の機種選定にも関わった経験があることに加え、宮古島という現在の我が国防衛の最前線で起きた事故であるとか、昔からよく知る師団長をはじめ、「身の危険を顧みず」と誓って国防に人生を捧げている10名の自衛官たちが事故に巻き込まれたことなどが重なって、言葉で言いつくせないほどショックを受け、ただただ残念無念で心が痛み、呆然自失の状態の中で祈るばかりの日々が続いておりました。

本メルマガが発刊される25日当日まで、行方不明者の捜索や救出などがどれほど進展しているか不明ですが、1日にも早く、本事故に遭遇した自衛官達全員がご家族のもとに帰れることをひたすら祈っております。

▼第4編を取りまとめるにあたって

さて、頂いた読者反響の中に、本メルマガのデータについて語っておられた方がおりました。遅ればせながら御礼申し上げます。実は、本メルマガ『我が国の未来を見通す』を発刊しようと決心した時、最も悩んだのはメルマガの“スタイル”でした。その時にヒントになったのが、『Numbers Don‘t Lie』(カナダ・マニトバ大学特別栄誉教授バーツラフ・シュミル著)でした。本書は、サブタイトルが「世界のリアルは『数字』でつかめ!」となっているように、広範囲にわたるテーマを細部までに“見える化”する手段として、信頼できる数字とかデータを多用して解析しており、とても説得力がありました。

この書籍の手法が私の好奇心に火をつけ、我が国の未来についても、ただその傾向性や見通しなどを単に文章で書き綴るだけでなく、可能な限り「数字」を追ってみようと決意させました。

そうさせた背景には、日本人の多くが、時には国会のような議論の中でさえも、「だれだれが言っている」とか「マスコミが報道している」、そして最近は「SNSで話題になっている」など、周りの意見や考えに振り回され、それらをしっかり評価することもせずに、知らず知らずの間に自分の“知識”としているような傾向がある、と考えていたこともありました。

最初の言い出しっぺ、つまり世間に流布される“意見の源流”についても、よく調べてみると、その根拠などをろくに分析しないまま、自分の主張とか思想などに添った“観念論”を言い放っているだけにすぎない場合が“ままある”こともわかりました。

そのような現状を打破するためにも、本メルマガで掲げたテーマについては、可能な限りのデータを集めることを心がけてみました。そうした所、“観念論”で作り上げられた世間の“常識”とは違った事実があったり、また違った見方ができることがたくさんあることも発見しました。

一方、いかなる分野やテーマにおいても、著者が自分の主張や意見に合った数字やデータを都合よく使うこともよくあることから、数字やデータが正確なものかどうかについては、努めて違った視点のデータ等と比較検討するなどかなり時間をかけましたが、その見極めは困難を極めました。

最近は、「チャットGPT」なるものが話題になっていますが、使うデータの数や事例は人間では到底及ばないことは明白としても、それらの数字やデータをいくら大量に収集したとしても、それらは「過去のデータ」であることには間違いありません。いくら丹念に集めて駆使したとしても、「未来」が正確によめるかどうかについては異論があることでしょう。

現時点では、私は“懐疑派”の立場に立っています。と言いますのは、世界の歴史を振り返ると、人類はいつの時代も時に不合理とか不条理といえるような判断を繰り返してきたからです。これから先も、AIがはじき出した「未来」とは別の「未来」を選択する可能性は十分あると考えるのです。

「歴史はその時々の人間と国家が生き抜いてきた努力の積み重ねであり、人間と国家の営みの大きな流れである。大きな流れの中で戦争も生じれば平和も生じる。その善悪を論じるべきものではない」と 元外交官の岡崎久彦氏は「歴史」を振り返っていますが、時には国家の命運を左右する「戦争」のような問題についてさえ、「人間と国家の営み」の中で決断され、「歴史」を織りなしてきたのでした。

これから先、特に、日本の未来については、その時々の日本人と日本という国家の努力と営みの中で創り上げられることでしょう。一方、過去の歴史を振り返れば、「歴史の繋がり」という点では、時代や世代、あるいは日本の動きと世界の動き、つまり時間軸・空間軸の両軸の繋がりは決して無視できないことも明白です。

「歴史に“if”は禁物」といわれますが、後から振り返ると、「あの時こうしておれば」ということにしばしばで出くわします。しかし、「過去」はいくら振り返ることはできても、時計の針を戻してもう一度やり直すことはできません。

しかし、これから先の「未来」は違います。「現時点の様々な判断が未来の歴史を創り出す」のです。つまり、「より確からしい」「より明るい」「予想される(あるいは想定外の)危機事態に対してより的確に対処できる」などの「未来」は、現代に生きる私たちが、過去の歴史に学び、様々な知恵を絞り、議論を重ねつつ、完全ではなくとも、未来の日本人、つまり後世の人達の選択肢を広げ、最適で合理的な“営み”の中で未来の国家を創り上げることができるような“基盤”を整備することにかかっており、このこと自体が今を生きる私たちの責任であると私は考えます。

その中でも、「国家の生存そのものを失う可能性がある」、つまりその後の未来に繋がらないような、致命的な選択肢の採用を回避できることこそが最優先であると考えるのです。

本メルマガ『我が国も未来を見通す』は、これまで「少子高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネルギー問題」を取り上げ、巷で述べられているような観念論や理想論、さらには「多勢に無勢」とか「長いものに巻かれろ」的な風潮にあえて棹を指し、少数意見であってもより合理的で確からしいと判断できたものについては、素人の勇気を振り絞って取り上げてみました。

その結果、それぞれの「専門家」とか「権威」に対して疑問を持つこともしばしばでした。例えば、気候変動問題などは、大方の国際機関や大半の人類の現状認識についてさえ疑問を持つこととなりました。色々調べるうちに、国際連合のような国際機関であっても、ある目的を達成するためには、「反対意見を封じる」ような“事実”があることもわかりました。

こうなると、何が正しいのか、何を信じてよいか、悩んでしまいますが、それぞれの問題に取り組んでから1年余りの歳月が流れました。その経験を踏まえると、私たちが今、向かっているのは、本当に「未来を明るくする道なのか」、あるいは「破滅」とは言わないまでも、「未来に負の遺産をもたらす道ではないのか」について、一度立ち止まって考え、要すれば軌道修正する必要があるのではないかと考えるに至っています。

さて、前置きが長くなりました。我が国の未来に立ちはだかる「暗雲」は本メルマガで取り上げた3つの問題だけでないことも明白です。まず、現下の国際社会や周辺情勢から厳しさを増しつつある「国防問題」があります。これについては昨年末、「戦略3文書」が策定され、十分かどうかはさておき、国家として予想される事態に対する対処戦略は出来上がりました。

もう一つは、近未来から将来にわたって発生することを覚悟しなければならない「天変地異」です。自衛官であった経験から悲惨な被災現場を何度も目にしていることもあって、「天変地異に対する備えは十分なのか」との疑問についても頭から離れません。

歴史的に災害大国であるとの我が国の特性を顧みず、かつて「コンクリートから人へ」という、狂っているとしか思えないような政策を掲げた民主党が政権を担った時がありました。そのような時に、(誤解をいとわずに表現すれば、“神様に見透かされたように”)なぜか大きな災害が発生するのも不思議です。

今年3月のある日、宮城県の仙台港の近くで仕事をする機会がありました。仕事の合間に、岩手、宮城、福島の3県の太平洋側にまたがる総延長400キロメートルに及ぶ防潮堤の上に立つ機会がありました。今年は東日本大震災から13回忌にあたります。せっかくの機会と思い、遅ればせながら黙とうを捧げさせて頂きましたが、その瞬間、「この防潮堤が東日本大震災の前に完成しておれば、何人の人の命が救われたことだろう」との思いが頭を駆け巡り、涙が溢れてくることでした。

そして、東北地方の復興や備えがほぼ完成した今、“30年以内に70%の確率で発生する”といわれる「南海トラフ」などへの備えを行なうべきとの思いも沸き上がりましたが、そのような動きが依然として全く話題にならないことにも不思議さを感じています。

我が国は、伝統的に「将来に対する『備え』とか『未然防止』が苦手である」との特性そろそろ気がつく必要性があると考えます。そのような我が国の本質的な欠点を含めて、これまで取り上げた5つの「暗雲」に対していかに対処するかについては、個別の対応のみならず、外してはならない「共通の要素」があるような気がしてなりません。

第4編は、「『強靭な国家』を造る」と題して、これらに対処するための「共通の要素」をあぶりだし、その集大成として、未来に繋ぐ「国家のあり様」について不十分ながらも取りまとめてみたいと考えます。どうぞしばらくお付き合い下さい。

▼超高齢化社会がもたらす「介護」の現状と将来

さて、本メルマガ第1編「少子高齢化問題」については18回にわたり発刊し続けてから1年ほどの歳月が流れました。最近、「異次元の少子化対策」との言葉が一人歩きしていますが、それらの是非については後述することにして、まず、第1編の発刊の後に、私自身が発見したデータを紹介しつつ、第1編を補足しておきたいと思います。超高齢化社会が必ずもたらすものとしての「介護の問題」です。

歳をとるにつれ、要介護・要支援状態になる可能性については説明を要しないと考えますが、現状のデータからその比率や確率を知るとまさに驚愕します。

「要介護」の各段階を要約すれば次のように区分されています。「要介護1」は「運動能力や認知能力の低下により生活の中で一部介護が必要な状態」、「要介護2」は「見守りや介助が必要な状態」、「要介護3」は「ほぼすべての日常生活で介助が必要な状態」で「要介護3」から特別養護老人ホームを利用できます。「要介護4」とは、「自力で立つ・歩くなどの基本的動作が難しく、周りの人との意思疎通も難しい状態」、「要介護5」は「1日中寝たきり、意思疎通ができない状態」です。

厚生労働省の統計によると、令和4年1月末現在で「要介護(要支援)」認定者数は、689.7万人、そのうち、男性が218.9万人、女性が470.9万人となっています。

平均寿命は、女性が男性に比して約6歳前後長くなっていますが、健康寿命と平均寿命の差異という点では、男性の約9年に比して女性は約12年と女性の方が長くなっています。その差異がこの認定者数にも表れていると言えるでしょう。

また、その内訳は、65歳以上が676.7万人ですが、中でも80歳以上の受給者が517万人と全体の約4分の3を占めています。また、「要介護3」以上の受給者は237万人であり、全体の約3分の1を占めています。

2020年度末の厚生労働省の資料に基づきもう少し詳しくみてみましょう。「要介護」の「被保険者に占める受給者の比率」を年代別にみますと、80歳未満では、全体の12%ほどなのが、80歳から85歳になると約27%と急増し、85歳以上90歳未満では50%、90歳以上になると78%に増加します。そのうち、90歳未満では、「要介護3」以上は、各世代それぞれの「要介護」比率の3分の1ほどですが、90歳以上になると約半数に増加します。

私たちの認識を深めるために再度整理しておきましょう。「要介護」に関しては、「80歳未満の高齢者であればほとんど無視しうる水準ですが、80歳以上になると約4分の1、85歳以上になると約半数、90歳以上になると約8割の高齢者が『要介護』になっている」のが現実です。そして、90歳以上になると、3分の1を超える高齢者が「要介護3」、つまり「ほぼすべての日常生活で介助が必要な状態」になっているのです。

最近はまた、夫婦間の介護や老々介護なども話題になっていますが、「夫婦とも受給者にならない確率」をチェックしてみると、さらに驚愕します。

80歳未満の夫婦が「要介護にならない確率」は77%で、ほぼ無視できる水準ですが、80歳以上85歳未満の夫婦の場合は、54%、85歳以上90歳未満の夫婦は25%、90歳上の夫婦になるとわずかに5%に減ってしまいます。そのうち、「要介護3」については、90歳以上の夫婦の約4割のみが「要介護3にならない」とのデータもあります。

繰り返しますと、夫婦ともに長生きするのはおめでたいことではありますが、夫婦とも「介護」に関係ない生活ができる確率は、80歳を越えたあたりから半数弱に減り、85歳を越えれば4分の1に減り、90歳を越えるあたりで5%に激減します。つまり、健康な日常生活を送れるのは、100組の夫婦のわずかに5組のみという水準になるのです。

このように、高齢化に従い、夫婦のどちらか一方が「要介護」になることは避けられない問題になります。最近も「介護」が関連していると考えられる殺人事件が発生しましたが、これらのデータを見る限り、その背景がよく理解できるのではないでしょうか。

「人生100年時代」といわれるように、平均寿命が毎年のように伸び続け、2050年には、男性は現在の約80歳から85歳に、女性は約87歳から91歳に近づきます。最近、100歳以上の高齢者が9万人を超えたことが話題になりましたが、2050年頃には68万人になると見積もられています。

当然ながら、現時点では95歳以上、あるいは100歳以上に限定したデータはありませんが、現在の「要介護」の実態をみる限り、「人生100年時代」の到来を手放しで喜ぶことはできないようです。

これ以上の詳細は省略しますが、核戦争が現実のものになると言われた1960年代のフルシチョフが語ったといわれる「核戦争の生存者は死者をうらやむだろう」の言葉を引用して、野口悠紀雄氏は、自書『2040年の日本』の中で「来るべき人生100年の時代に、長寿者は死者をうらやむだろうか」と述べています。

「少子高齢化問題がもたらすもの」として、今回は「介護」の問題を取り上げましたが、それだけではないことも明白です。次回以降、「我が国の近未来」について、特に「経済成長」予測などと絡めて「社会保障の給付と負担」の増加などの問題についても取り上げてみましょう。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

この記事をシェアする

関連記事

著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)