我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(16) 少子高齢化問題(16) 具体的「少子化」対策の提案(その6)

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我が国の未来を見通す(16) 少子高齢化問題(16) 具体的「少子化」対策の提案(その6)

□はじめに

前回、「ウクライナ情勢」に触れましたが、やはり動きが激しく、数日先の情勢が読めず、とんでもない展開になる可能性があることがよくわかりました。まさか原子力発電所を攻撃して“人質”にするような作戦が(机上の作戦としてはあっても)実際に起こるとは考えてもみませんでした。“言語道断”以外の言葉が見つかりません。

元自衛官の私は、いつもテレビの映像や新聞記事などの裏にあるロシアの戦略や軍事作戦について考えていますが、3月2日、イギリス王立国家全保障研究所が「ロシアは1年前から計画していた。その目的はウクライナの占領」と発表したとのニュースが流れ、思わず納得しました。

時間をかけて練りに練って周到に準備した本作戦は、当然ながら、ウクライナ侵攻の大義名分をはじめ、ウクライナ政府の対応や軍・国民の抗戦能力、さらには欧米諸国をはじめ国際社会の反発などについても“織り込み済み”の上で、それでも「侵攻が国益に合致する」「侵攻目的を達成できる(勝算あり)と判断した結果の侵攻だったと推測します。

しかし、現時点(3月5日)までの局面を見る限り、ウクライナの抗戦意図や能力がこれほど強いのは想定外だったのではないか、その結果が原発攻撃となったのではないかと想像しています(いずれ判明することでしょう)。

本メルマガが世に出る頃の情勢は不明ですが、歴史を振り返ると、予想もしなかったことが発端となって突然、急展開することもよくあります。しかし、ここまで来ると簡単に後には引けないし、簡単に妥協はできないでしょうから、ロシアの今後の“出方”が懸念されます。楽観は禁物と考えます。

それにしても、冷戦終焉から30年余り過ぎた現在、「人類はなぜこのような局面を経験しているのか?」、そして「未来への警鐘として何を汲み取ればいいのか?」など、我が国の防衛のみならず大所高所から国際社会の将来について考えてしまいますが、その細部については、情勢が少し落ち着いた頃を見計らって紹介することにしましょう。

さて、このような情勢下で本メルマガを発信することにためらいがある上、あまりに次元が違うことで恐縮なのですが、「少子化」対策については今回で終わりにしたいこともありまして、個人的なことを書かせていただくことをお許し下さい。

私は、昭和26年に福島県の寒村の農家、7人兄弟の末っ子として生まれました。父親は子供の頃の怪我のため左の薬指が固くてこぶしを握れなかったこと加え、長男だったことや年齢制限もあったのかも知れませんが、兵隊検査は「乙種合格」になり、徴兵はされませんでした(3人の叔父たちは徴兵され、1人は戦死しました)。

 それもあって、両親は当時の「産めよ、増やせよ」との政策を忠実に実行したのでしょう。終戦を挟んで7人(男3人、女4人)の子供を作ることになりました。しかし、末っ子の私はさすがに必要ないと思ったようで、中絶手術がなかった当時、母親は実家の前を流れている川に入り冷たい水につかってみたり、梯子の中段から落ちてみたり、とそれこそ流産させようと決死の努力をしたようです。それでも私はしぶとく母親のお腹の中で育ち、無事に産まれました。

分別がつく頃になってそのことを聞いた私はとてもショックを受けましたが、その後に続いた「産まれてきたら、7人の子供に中でおまえが一番かわいい」との言葉に騙されたような格好で、母親を責めることはしませんでした。

今でもよく覚えているのは、早朝から夜遅くまで、休日もなく働き詰めに働き、7人の子供を育てた両親の姿ですが、当時としては決して珍しいことではなく、周りの家も皆そうしていました。

冷静に振り返りますと、現在のアフリカなども同じような状況なのでしょうが、避妊とか中絶を含め計画出産が叶わなかった当時は、結果として“子だくさん”になったという事実があったものと考えます。

時代が変わり、自分が2人の息子の親になって、両親や子供時代の経験を息子たちにうまく伝えることが出来ないまま時が過ぎ、息子たちはいつの間にかおおらかな大人になってしまいました。「家族」という枠から一歩も踏み出すことが出来ないのも事実ですが、長男は未だ独身、次男夫婦には子供1人ですので、我が家は、現段階ではあきらかに「少子化」を促進する側にあります。

正直申し上げれば、「少子化」について偉そうなことを言う立場にはないのですが、ウクライナ情勢を睨み、改めて国防の重要な要素としての人口の確保と国を守る意識に思いを致しながら、あえて筆を進めたいと思います。

▼「婚姻数」と「多子化」増加施策の提案

「少子化」対策の最終段階です。我が国の国情に合って最も可能性があると考えられるのは、やはり、前回紹介しました①「結婚」を前提にして、「婚姻数」と「子だくさん家族」(多子化)世帯の増加にあると考えます。「少子化」対策の総括の意味を込めて、そのために必要な「手立て」を一緒に考えてみましょう。

この目標を達成するために、国や社会ができることはたくさんあると考えますし、すでにさまざまな取り組みを行なっていることは紹介したとおりです。しかし、現状を見る限り十分でないことも明白です。

1月25日、厚労省より昨年1年間の婚姻数や出生数が発表されました。まず、婚姻数は戦後最少の51万4242組(前年比、2万3341組(4.3%)減)でした。出生数(速報値)は、前年比2万9786人(3.4%)減の84万2897人で、6年連続で過去最少を記録したようです。なお、速報値には、日本に住む外国人と外国に住む日本人も含まれます。9月に発表される確定値は日本に住む日本人のみであることから、速報値より出生数がさらに少なくなります。

一方、死亡者数は、前年より6万7745人増え、戦後最多の約145万2289人で、出生から死亡を引いた自然増減は60万9392人減となり、はじめて60万人を超えました。新聞の見出しには「コロナ禍で少子化加速」とありましたが、コロナ禍によって、「少子化社会対策大綱」に示されたような各施策をあざ笑うかのように危機的状態が加速されてしまいました。

「コロナ禍」の影響は一時の現象との見方もあるのでしょうが、これらの施策が功を奏さなかったのにはそれなりの訳があると考えます。その原因をしっかり分析し、必要な政策変更を決断して実行するためには、所掌官庁やいわわる「専門家」に任せるだけでなく、さまざまな方面から“メス”を入れる必要があるのではないでしょうか。

これまで紹介しましたように、「少子化」対策で成功している国がたくさんあります。それらの対策をそのまま我が国に導入することは難しいとしても、フランスやロシアのように、政府が「少子化によって国家が危機状態に陥ることを回避する」と宣言し、「少子化」対策を最優先してその仕組みを具体化し、必要な予算を獲得することは政府や国会の“意思次第”であると思います。

まず、「婚姻数」の増加対策については、国や地方自治体のさまざまな施策についてすでに紹介しましたが、大事なことは「教育」と「雰囲気作り」にあると考えます。教育については、幼少のころから「結婚」や「家庭」の持つ意味や「子供を産み、育てる」意義を繰り返し教えることが出発点ではないでしょうか。

我が国は、戦前の反動から、戦後は「個人主義」を美化し過ぎ、国民の社会的義務、さらには社会や地域との「共生」の必要性などについて十分に理解させてこなかったところにその根本要因があるような気がします。その延長で、多くの国民が「結婚」とか「子孫(後継者)を残す」ことについての理解が不十分なまま今日に至っていると考えます。当然、家庭内の教育も大事でしょう(その意味では、冒頭のように我が身を恥じるばかりです)。

また、すでに「働きかた改革」も紹介しましたが、この改革の中に、「子育て両立支援」や「女性活躍推進」などがうたわれ、本気になって取り組んでいる企業もあることでしょう。つい最近、個人的に関係している上場企業で「総合職の女性社員が転勤時期になり、子育てとの両立で悩んでいる」ことが話題になりましたが、多くの企業に普及しているとは思えません。

現時点では、男性が育児休暇を取れるのもごく一部の企業のみと想像します。昨年6月に「育児介護休業法」が改正され、従業員が育児・介護を理由として離職することを防ぎ、男性・女性問わず仕事と育児・介護の両立を可能にするために新たに変更が加えられました。その中に「男性版産休制度」が創設されたようですが、今年4月1日から施行されるのを契機に、企業内に男女ともに仕事と育児の両立を図る組織作りやそのような「文化」の定着が求められています。

すでに指摘しましたように、現在のような、あまりにもケチな「児童手当」を即刻見直し、「子供を2人あるいは3人作った世帯に相応の手当を増額する」との“分厚い支援”を実施すべきでしょう。仮に「一人親」になったとしても、「国が子育て支援を実施する」と明言できるくらいの社会システムを整備すべきと考えます。

具体的な金額などについては、さらなる検討が必要ですが、その上限は、前回も紹介しましたように、親の“自助努力の精神”を奪ってしまうことを回避することは大事な要件と考えます。親は、一般には子供ために必要な努力は惜しまないと考えますが、その経験を通じて、親自体が成長する面が多々ありますし、その姿を子供に見せることも子供の成長のために大事なことは論を俟たないでしょう。それを奪ってしまうことは、別な意味でマイナス面が生起する可能性もあります。その上で、育児を放棄する親には「里親制度」などを利用した救済処置を国や社会がしっかり担保すべきと考えます。

「少子化」対策の難しいところは、本来、個人の自由に任されている「結婚」と「子育て」に国家や社会が関与する是非とその限界にあると考えますが、我が国の未来を左右する「少子化」対策については、政府が率先して適度な「支援」と「雰囲気作り」にまい進することが求められていると私は考えます。

ぜひとも、結婚適齢世代に「結婚」をして「子供をたくさん作りたい」とのモチベーションを向上させるための「支援」や「雰囲気作り」はいかにあるべきかについて、強い意志をもってあらゆる角度から検討して、これまでの政策の不十分な面については勇気を持って是正してほしいと願っています。

▼「少子高齢化」の「日本モデル」

最後に、先進国の最先端を走る「少子高齢化」対策に向けて、「少子化」と「高齢化」を合体させていかに立ち向かうべきなのかについても考えてみましょう。私は、「15歳から64歳」となっている現在の「生産年齢人口」を「18歳から69歳」に変更し、これを「日本モデル」とすることがその出発点と考えます。

我が国は、明治時代から「20歳を成人」と定めてきた民法を改正し、今年4月より成人年齢を「18歳」に引き下げます。また、昨年4月より「高齢者雇用安定法」の改訂によって70歳定年が現実のものになりつつありますので、ちょうどいい機会なのです。

その結果として、「児童手当」の支給年齢の上限を現在の15歳から18歳の誕生前まで引き上げるべきでしょう。「将来の良質な労働者育成のために国を挙げて取り組む」ことも政策として掲げれば、多くの国民も納得するのではないでしょうか。

我が国の社会保障給付費は、戦後の50年で約100倍に増加し、今や130兆円になり、さらに今後ますます増えることが予想されています。その内訳は、年金、医療、介護費などほとんど高齢者のために支出しているのが実態です。

上記の「日本モデル」は、これまでの「少子高齢化」対策が、「高齢化」対策に偏重し過ぎていたことを修正する宣言でもあります。このままでは、現在の若者層は祖父母や親世代のためにせっせと貢ぐものの、自分たちの番になったら、ほとんど貢いでもらえない公算が大です。この事実を知ったら、若年層のやる気が失せることでしょう。そして、「将来に明るい希望を持てない」ことが続けば、非婚化や少子化がさらに進む可能性があります。

一方、自分たちの稼いだ分の一部が自分たちの家庭や子供たちのために使われていることを知れば、希望が持てるのではないでしょうか。「人生100年時代」です。大多数の国民が長生きします。65歳から70歳は年金受給対象年齢ではなく、一律ではないにしても、所得や健康状態などに応じて年金を納める側に回ってもらう、つまり「支えられる側」から「支える側」に回ってもらうのです。

「児童手当」の増加分の財源が足りないのであれば、「復興特別所得税」(税率2.1%)のように、「少子化対策特別所得税」(仮称)を新設するのも一案と思います。「特出し」をすることによって、政策が気色鮮明になり、メッセージ力も増大します。

ほかにも「少子高齢化」に関連する政策は多岐に渡りますが、これらをすべて「日本モデル」として組み込み、新たな「少子化社会対策大綱」を策定し、実行することを強く願っています。「雰囲気作り」は「メッセージ力」に比例します。今回の「育児介護休業法」などもこのままでは何のために改正するのか、その趣旨が埋没し、なかなか定着しないことでしょう。

「少子高齢化」対策のための「日本モデル」としてパッケージ化して、我が国の「文化」として定着するまで、(内閣が代わっても)総理大臣が先頭に立って、強く、継続的に、しぶとくメッセージを発信すべきと考えます。

一方、役人にこのような判断をさせるのは無理なことも事実でしょう。そのような決断と断固として実行する、強い(欲を言うならば、発信力のある)為政者の出現が待望されます。政治家を選ぶのは私たち国民です。現状を放置したままにすると、やがて、平和や独立の維持を含め、すべてが“天につばする”となって我が身に降りかかってきます(と断言します)。

私たちの世代は、後世の苦しみをあの世から眺めていることでしょうが、日本国自体の存亡がかかっています。そのことに早く気がついてほしくて本メルマガを発信していることをご理解いただければありがたいです。

次回以降、「人口減」対策のもう1つ、つまり「移民」政策の是非を取り上げます。こちらもあまり深掘りはしませんが、さまざまな問題を抱えています。長くなりました(以下次号)。

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)