我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

Home » 少子高齢化問題 » 我が国の未来を見通す(15) 少子高齢化問題(15) 具体的「少子化」対策の提案(その5)

我が国の未来を見通す(15) 少子高齢化問題(15) 具体的「少子化」対策の提案(その5)

calendar

reload

我が国の未来を見通す(15) 少子高齢化問題(15) 具体的「少子化」対策の提案(その5)

□はじめに(ウクライナ戦争について)

 私は、毎週月曜日夜発信の本メルマガを前週の木曜日ぐらいには完成して送信することにしています。

 この4日間の情勢の行方が読めないことから、ウクライナ情勢についてはこれまで一度も触れないままでした。正直に申し上げれば、首脳会談が行なわれようとしている間は、戦争は起こらないことを歴史は教えていますので、今週明けまでは、米ロの外相および首脳会談が調整されていたので、首脳会談に期待していました。

 それが破綻したことがわかった今週初め、戦争がまじかに迫っていることを見積もりつつも、24日、これほど早く戦争の火ぶたが切って落とされるのは予想していませんでした。それにしても、ロシア(ソ連)はこれまで何度もオリンピックを利用してきたという事実があるので、この点では本当に「歴史は繰り返す」ものだと感心しています。

 今後、この戦争がどのように展開するか、今日時点で見積もることは難しいと考えますが、マスコミや有識者が全く触れないウクライナの軍事力について少し触れておこうと思います(すべて公開されているものです)。

ロシアとウクライナ戦力較差は、ウクライナ1国では逆立ちしても勝負にならないほど大きいのは明白ですが、読者の皆さんは、1991年の独立当時、ウクライナの通常戦力は欧州で最強だったことをご存じでしょうか。ウクライナは当時、総兵力78万人、戦車6500台、装甲車両7000台、火砲7200門、航空機2000機など巨大な戦力を保有していたのです。

それがなぜ弱体化したかの細部は省略しますが、23年が経過した2014年3月、つまり、クリミア半島を失う危機に直面した時、総兵力は20万人に落ち込み、そのうち即時投入できる兵力は6000人に過ぎず、戦車・装甲車など機動装備は燃料が不足し、バッテリーも除去されており、600機の航空機のうち稼働するのは100機もなかったといわれます。

その上、クリミア危機の半年前の2013年10月にウクライナ政府はほとんど準備もないまま「徴兵制」の廃止を宣言したこともあって、クリミア半島危機でウクライナ軍はいかなる措置も実行する能力がなく、欧州最強レベルの通常兵力を保有していたウクライナは戦争を遂行できない国に転落していたのでした。

特に、何ともショックなのは、クリミア半島に駐留していたウクライナ軍人の大半が抵抗を放棄しただけでなく、「ロシアの軍人になる道」を選択したのでした。

人類史上これほど強力だった軍隊がこれほどの短期間に没落した事例は探すのが難しいと言われています。現在は、18か月の兵役制度は「徴兵制」を維持した状態で、「契約」による職業軍人の規模を増やしていますが、それでも、世界第2位のロシアに比し、22位のウクライナは、総兵力のみならず、海空戦力を含む通常戦力の質・量ともに、残念ながら“戦い”にはならないでしょう。

よって、NATOに何としても入りたいウクライナ、それを絶対阻止したいロシアですが、この戦争の結果、ウクライナの“夢”が実現する可能性は低いと考えるのが妥当でしょう。

ロシアの行動を非難することは当然としても、この戦争を他山の石として、「明日は我が身」、改めて、自らの国防力(ハード・ソフト両面)を強化する重要性(必要性)を多くの日本人に気づいてもらいたいと思っています。

今日(24日)の国会で「今こそ、日本の得意な平和外交を発揮すべき」と首相に詰め寄る野党議員がおりました。正気ではないと考え込んでしまいましたが、「少子化」の折から「10増10減」などとケチなことを言わず、国会議員が先頭に立ってその数を減らして、その分を防衛費に回した方が日本の将来は安泰ではと、またしてもテレビに向かってつぶやいてしまいました。長くなりました。

▼「養子縁組」と「里親制度」

さて、気を取り直して、我が国「文化」を見直しできるかどうかの観点から、「養子縁組」と「里親制度」も取り上げ、「婚姻」以外の「少子化」対策を総合的に考察してみたいと思います。

我が国のみならず、「家父長制」を基本とする「家族制度」を採用している国は、家長・稼業の後継者や財産の相続者を得るための「養子縁組」制度が必要とされてきました。この制度の歴史は古く、古代ローマにおいてすでにあったようですし、我が国の場合は、「大宝律令」の中に「養子縁組」の制度が定められていました。

「養子縁組」とは、いわずもがな「実の親子関係のない人との間で、親子関係、またそれを通じた親族関係を結ぶことを可能にする制度」ですが、最近では、子供を授かることができない若い夫婦が、子育ての喜びのために養子をもらうケース、虐待のせいで実の親のところに戻れない幼い子を、実の親と切り離して養子にするケースなども増えてきています。

「養子縁組」の制度は法律でこと細かに決まっており複雑ですので細部は省略しますが、我が国の場合は、縁組数自体は年間8万件以上(アメリカに次ぎ第2位の件数)ありますが、依然として、家業、財産、家の苗字、お墓などを維持するための養子縁組が主になっています。

これに対して、たとえば、アメリカでは、恵まれない子供に家庭を与えるための養子縁組制度、すなわち「子のための制度」として養子縁組(アドプション)が導入されております。また、1990年代に児童虐待が深刻化したことから、クリントン政権時に「養子縁組と安全な家族法」が成立し、養子縁組を増やすために国を挙げて取り組んできたという歴史があります。

この結果、アメリカでは、「養子縁組」の認知度も非常に高く、国民の約3人に1人が養子縁組を考えたことがあるとアンケート調査に回答しているようで、実際に、年間12万件を超える養子縁組が成立しています。このような社会的な関心の高さを背景に、養育費の税控除(1世帯あたり最大1万2560ドル)などもあります。

欧州においても、第1次世界大戦により孤児が増加したことから、「子のための養子縁組」に関する養子法制が導入されている国が増えました。フランスにおいては、要保護児童の斡旋件数が年間約5500件と、児童の養子についてはアメリカに次いで多く、かつそのうち3分の2が国際養子縁組となっています。つまり、この点についても「少子化」対策に貢献していることになります。

逆に、「平均出生率」が世界最低の韓国は、儒教文化の影響で血縁関係を重んじるため国内養子縁組が進まなかったこと、未婚の母が社会で容認されないため子供を養育するのが困難なこと、母子家庭への支援策が少ないこと、などがその背景にあるのも事実のようです。

さて、我が国の「養子縁組」です。我が国は、昭和63(1988)年、子どもが生涯にわたり、安定した家庭で特定の大人の愛情に包まれて育つために「特別養子縁組」を制度化しました。

「特別養子縁組」は、従来の「普通養子縁組」と違い、養子の続柄を「養子(養女)」と記載するのではなく、「長男(長女)」と記載されることをはじめ、「普通養子縁組」が養い親(養親)と養子の双方に制限が少なかったのに比し、「特別養子縁組」は、養親は原則25歳以上で配偶者があること、養子は原則6歳未満であること、縁組が成立する前に「6か月以上の監護期間(同居して養育する期間)を考慮する」といった要件があります。

実際に縁組が成立した件数は、1988年から2020年までの33年間に延べ1万6052件と、本制度が成立した当初は、年間1000件を超える年もありましたが、その後減少し始め、近年やや回復しているものの令和2年度は693件にとどまっています。

我が国にはまた、「里親制度」という制度があります。これは、「児童福祉法」に基づいて、親の病気、家出、離婚、その他いろいろな事情により家庭で暮らせない子供たちを自分の家庭に迎え入れて養育する制度です。件数としては、毎年約6000人弱が里親として登録され、対象となる子供を養育しています。この人数をどのように評価するかは難しいですが、「東日本大震災」で福島の遺児・孤児1700人のうち、約9割は、“親族里子”だったという事実もあります。

政府も「少子化対策」の一環として、「里親・養子縁組制度の促進と広報・啓発」を掲げてはいますが、依然として、広く国民に普及して少子化対策と功を奏しているとは言いがたいのが現状でしょう。

また我が国では、年間約20万人の妊娠中絶が行なわれているといわれます。それぞれ事情があるにしても、「少子化」対策からみればもったいない話と思ってしまいます。マスコミでは時々、「赤ちゃんポスト」も話題になりますが、日本では熊本市に所在する慈恵病院のみで、これまでの件数もわずかに約150人ほどです。慈恵病院が学んだとされるドイツには同様の施設が100カ所、イスラム教国家のパキスタンなどでも300カ所もあるといわれています。

個々の人生やプライベートな部分にどこまで踏み込むかは難しく、デリケートな問題でありますが、人間の判断が社会の風潮や雰囲気に左右されることはよくあることなので、今後の取り組みによっては期待が持てなくはないと考えます。

▼どこまで「少子化」対策に踏み込むか?

以上、「少子化」対策を真剣に考えれば考えるほど、その範囲はかなり広いことが理解できます。

それを前提に総括しますと、「少子化」対策の基本は、「どのような形でも子供がたくさん産まれ、育つ」ことが可能になればいいわけですが、とは言っても、中国のように、政府(共産党)が「3人子政策」に舵を切り、(お金のかかる)塾を強制的に閉鎖させるというような強硬手段を行使することは我が国では不可能です。

ならば、国民の多くに「いかにして子供をたくさん作ってもらうか」を主に対策を練るしかほかに方法がありません。

前回まとめましたように、その対策は、①「結婚」を前提にして、「婚姻数」と「子だくさん家族」の増加のために国を挙げてあらゆる手立てを考える、②「不道徳」な面に目をつぶるか、(可能ならば)社会的に認められる“日本なりのスタイル”で「婚外子」を容認して国家や社会が支援する、の2形態の両方、あるいはどちらかを重視した選択肢が白紙的には考えられます。

②の選択肢から先に考えてみましょう。つまり、我が国が諸外国のように「婚外子」、つまり「結婚」を前提にしないで子供を作る(増やす)ような“風潮”を拡大できるかどうか、言葉を代えれば、トッドの警鐘のような我が国の「文化」ともいうべき「家族」そのものを自らの手で大々的に壊すことを容認できるかどうかとも言えるでしょう。

遠い将来は別にして、急激な変化は無理と考えるのが妥当ではないかと考えますが、一方で、「少子化」対策の観点で言えば、「婚外子」をまったく拒否する社会も問題でしょう。現状では、わずかに約18万の未婚の母世帯から、毎年の出生数の2.3%しか「婚外子」は誕生しませんが、「子育て」の苦労が際立っているのは明らかです。

実際に、厚生労働省の調査によれば、母子世帯(さすがに未婚の母世帯の細部データはありませんでした)の平均就労収入は、181万円にしか過ぎず、女性の平均給与所得269万円の7割弱に留まっています。また、子供の進学率も高校など93.9%(全世帯96.5%)、大学など23.9%(全世帯53.7%)と低く、生活保護受給率も14.4%(全世帯3.2%)も高くなっているなどのデータがそれを証明しています。

それに対して、すでに国や社会がさまざまな支援を実施していることは明らかで、「児童扶養手当」として児童1人の場合4万2000円を上限(所得などによって一部支給あり)に支給され、2人目5000円、3人目以降3000円と加算されます。こちらは満18歳以降最初の3月31日までとありますので、高校卒業までは支援があるようです。

これらの額が多いか少ないかはさまざまな意見があることでしょう。額を増やせば、「母子世帯」(中でも「未婚の母世帯」)を奨励しているように誤解されるでしょうし、そうかと言って、現状程度では、両親が存在する世帯同様の子育てに支障を来す可能性もあります。

世の中には「子供1人産めば1000万円支給する。これが少子化対策だ」を明言する人もいますが、あまりに乱暴です。理由は、親の“自助努力の精神”を奪ってしまうからです。

「婚姻」に代わる“日本なりのスタイル”の考案、そして短期間の普及もそう簡単ではなさそうです。「何か」をきっかけにして普及拡大する可能性は大いにあるとは考えますが、その風潮が我が国の「文化」として定着するには時間がかかると考えざるを得ないでしょう。

理由はともあれ、未婚の母となって「子供を産み、育てる」ことは当分、決死の覚悟が必要なことが言うまでもないことでしょう。当事者たちの自助努力を阻害しない程度に、個々の事情に応じてきめこまかく国や社会がその支援策を拡大していくことが現実的な選択肢と考えます。

その中には、「養子縁組」や「里親制度」など、血縁地縁を超えた「子育て」制度の充実も必要不可欠でしょう。個人の人生に深入りすることは難しいですが、この世に命を持った子供を何としても育て、立派な人生を送ってもらいたいと国や社会が支援する、つまり国を挙げて「命を大切にする」(「命の尊厳」を第1に考える)との強い意志の表明と普及こそが「少子化」対策の“1丁目1番地”と思うのです。

次回、①の「婚姻」を前提にした具体的な「少子化」対策を提案し、「少子化」対策をまとめたいと思います。

(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

この記事をシェアする

著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)