□はじめに
もう45年ほど前になりますが、初級幹部の時代、アメリカのコロラド大学の修士課程に留学させていただき、1978年から2年間、コロラド州のボルダー市に滞在しました。振り返りますと、この2年間のアメリカ生活は、その後の私の人生に“最も強烈なインパクト”に与えてくれたと思っています。
細部については本メルマガの主旨から外れますので省略しますが、今日のテーマと関連する経験をひとつだけ紹介しましょう。
留学して2年目の夏季休暇を利用して、アメリカの首都・ワシントンを訪問する機会がありました。ワシントン観光の“お決まりのコース”のホワイトハウスや国会議事堂などが居並ぶモールを訪問したところ、軽トラックやワゴンの上に様々な土産などを賑やかに陳列し、観光客を相手に商売しているエリアがありました。帰国時のアメリカ土産を買おうと思い立ち、様々な“小物”を手に取ってみますと、裏に「メイドイン・ジャパン」と書かれていました。「これでは帰国の土産にならない」とまた別のものを探すことを繰り返しました。
何度か繰り返すうちについに我慢仕切れなくなって、ワゴンのオーナーに「ここにある物でメイドイン・ジャパンでないものはないですか?」と訊ねたところ、「これとこれネ」と明らかに日本製ではないような小物を2つ差し出したのです。つまり、これ以外の小物はすべて「メイドイン・ジャパン」だったのでした。
1970年代の2度のオイルショックの影響によって、70後半~80年代の長い間、国際社会は“スタグフレーション”に見舞われていましたが、この世界不況からいち早く抜け出したのが日本企業でした。米国人社会学者のエズラ・ボーゲルが『ジャパン アズ ナンバーワン』を上梓し、アメリカ経済界をして「日本に学べ!」が合言葉のようになった時期でした。
私はこの事実をだいぶ後にわかるのですが、ワシントンの例だけでなく、アメリカで知り合った知人友人などが「スズキを買った」とか「日本の車は故障しない」などと、自慢げに話すのを何度も耳にしました。
そのはずです。住んでいた町のどこの駐車場に行っても、ちょうどエンジンの真下あたりが真っ黒になっており、近づいてよく見ると油でした。当時のアメリカ製の自動車は、新車といえどもオイル漏れする車が多く、漏れ落ちた油が駐車場に何層にもこびりついていたのです。確かに、安い中古車でしたが、私の愛車シェボレーNOVAもしょっちゅうエンジンオイルを補給していました。
このように、戦後の日本にも、とても“誇らしい”時代があったのです。さて話は変わりますが、9月10日朝のNHKの「日曜討論」は「研究力の低下どうする?」というテーマで議論が交わされていました。正直申し上げれば、有識者たちの発言で参考になったものはほとんどありませんでした。
また、愛読しているスタンフォード大学西鋭夫教授のレポートの今回のテーマは「大学崩壊」でした。西教授は、我が国の基礎研究力がなぜ低下しているのか、その原因を鋭く解説していました。それに留まらず、NHKのようなマスコミに取り上げられる様々なニュースとその解説がいかに意図的に“あたりさわりのない”範囲にとどまっているか、についても自らの体験を通じて発信していました。NHKの日曜討論の解説やジャニーズ問題のマスコミの沈黙などから、改めて納得してしまいました。
本メルマガで、我が国の「科学技術」や「教育」をテーマにしようとしている時、偶然にも同じようなテーマを見つけ、「問題意識を持っているのは私だけではない」という点ではかなり勇気づけられたことは確かです。続きは本論で取り上げましょう。
▼「科学技術」が「国力」に与える影響
前回のメルマガで紹介しましたように、米誌「USニューズ&ワールドレポート」では依然として日本は「世界で最も洗練され、技術発展の進んだ国の1つ」と評価され、「世界で『強い』国のランキング」の7位にランクされています。
確かに、上記『ジャパン アズ ナンバーワン』と、もてはやされた頃からしばらくの間、我が国には“飛ぶ鳥を落とす勢い”がありました。では、“今はどうか?”という視点に立って、今回は「科学技術」に絞って、いくつかの指標について日本のランキングの推移を紹介しましょう。この分野についても「Numbers Don’t Lie」であることを理解できることでしょう。
まず、「研究開発費」(名目額)そのものは、1981年から1994年頃までは日本は米国に次いで第2位、1995年以降はEUに抜かれ、2012年以降は発展著しい中国に抜かれ、第4位に甘んじています。ただし国別ランクでは3位をキープしています。
一方、「研究開発費の対GDP比」については、1981年から2009年まで日本はダントツの1位をキープしていました。しかし、2010年を韓国に抜かれました。それでも、1996年頃までは3位以内をキープしていましたが、2020年時点では6位に甘んじています。
また「政府の研究開発費」は、中国、米国、ドイツ、ロシアに続き、第5位ですが、「研究開発費の政府負担割合」となると、フランスの30%台を筆頭に、米国、ドイツ、イギリス、中国などが軒並み20%後半を維持している中で、日本は15%前後に留まっていますので、我が国の研究開発費の主体は民間企業であることがわかります。
ちなみに、今年度の企業別研究開発費は、トヨタ、本田技研、ソニー、武田薬品、日産、デンソー、パナソニック、第一三共、ソフトバンク、日立などの大企業がベスト10に入っています。
以下、「科学技術指標」といわれる客観的・定量的データを用いて、主要な指標に関して日本の現状をもう少し詳しくチェックしておきましょう。
まず「研究者数」ですが、2021年のデータでは、日本は、中国(187万人)、アメリカ(149万人)に次いで3位にランクされ、69万人を数えます。
「労働力人口1万人あたりの研究者数」は、2002年には主要国中1位であったものが2020年には4位(98.8人)に落ちています。1位フランスを筆頭に、ドイツ、アメリカが日本をリードしていますが、この指標になると、中国は29.1人とランクはかなり下の方になりますが、それだけ労働力人口が多いとも言えるでしょう。
「女性研究者数」は、2021年時点では16.6万人であり、「女性研究者の占める割合」とともに増加傾向にありますが、OECD諸国の中では依然、最も低い割合となっています。様々な事情があるとは言え、女性研究者のさらなる増加を期待したいものです。
「論文数」は、かつては4位でしたが、2021年は5位に甘んじています(6.8万件)。その中で、「トップ10%論文」(ほかの論文に引用された回数が各分野で上位10%に入る論文)は低下傾向にあり、最近、イランに抜かれ、過去最低の13位に転落したことがニュースになっています。近年、この「トップ10%論文」は、中国がアメリカを抜いてトップになっていることにも注目が必要です。
「特許数」(パテントファミリー〔2か国以上への特許出願数〕)では10年前から1位をキープしており、以下、米国、ドイツ、韓国、フランス、台湾、イギリス、中国が続きます。ただし、近年、中国のシェアの増加に伴い、情報通信技術、電気工学、一般機器分野におけるシェアは低下傾向にあります。
これらを総括しますと、現時点では、日本は多くの指標で、米国や中国に続く3位に位置していますが、“伸び”という点では他の主要国と比べて小さい傾向にあること、国際社会の将来に絶対的な影響を及ぼすと考えられるデジタル競争力が低下傾向にあることなどは大いに懸念されることと考えます。
それらの具体的な指標については、すでに第79回配信で紹介しましたが、主要な指標を再提示しておきましょう。米国グローバル・ファイナンス誌が発表している「世界で最も技術的に進んだ国ランキング2022」では、日本は世界第7位にランクされてはいますが、「国際経営開発研究所(IMD)」が公表している「デジタル競争力ランキング」は、米国が3年連続第1位で、シンガポール、デンマークと続きます。5位香港、8位韓国とアジア諸国も名を連ねますが、我が国はここ数年低下傾向にあり、2020年は63か国・地域のうち27位まで落ちています。
世界経済フォーラム(WEF)が公表している「国際競争力」についてもすでに紹介しましたが、日本は、141カ国中、2017年8位、2018年5位、2019年6位にランクされています。
得意な「ものづくり」技術をさらに発展しつつ、ロボットやAIなどを含むデジタル技術を活用した生産体制、そして人類の未来社会を先取りする各種イノベーションやテクノロジーの開発などを他国に先行して実現できるかどうか、我が国はまさに正念場にあると考えます。
それを可能にする要因の1つとして、次回の「教育」の分野で触れる「博士号取得者数は2006年度をピークに減少傾向」にあるなどと相関関係にあるようです。わずかに明るい兆しがあるとすれば、平成22年度より低下傾向にあった修士課程入学者が令和3年度に増加に転じたことで、これが博士課程の入校者増につながることを関係者は期待しているようです。
▼「科学技術」を「国力」増強に活かす
話題を変えましょう。私たちは、みなGAFAを知っていますし、その代表たるアップル社の主力製品・iPhoneやiPadは、「天才的資質を有していたCEOスティーブ・ジョブス氏が発明した」と信じて疑いません。
実は、iPhoneとかiPadにみられる最先端技術のほとんどは、長年、アメリカ政府や軍が研究支援や財政支援を行なった結果として開発されたものでした。
アメリカの研究開発に関する政府支出の多さについてはすでに述べましたが、『企業家としての国家』(英国サセックス大学教授マリアナ・マッツカート著)は、「公共投資がイノベーションを起こす」として、「アメリカ政府の公共投資がなければGAFAは誕生してない」と強調します。そして、「国は優先順位の高い技術革新戦略を通して産業発展の過程をリードする必要がある」と提言しています。
つまり、「イノベーションには事前の想像をはるかに超えるリスクがつきものであり、それを恐れると一企業ではなかなか踏み出せないのが一般的だが、『公的セクター』がリスクを積極的に取り、画期的な技術革新の中心的役割を果たすこと」の重要性を説いているのです。
その成功例として、航空産業、原子力エネルギー、コンピューター、インターネット、バイオテクノロジジーなどまで例外なく、国家(米国政府や軍など)がリスクを恐れずに“成長エンジン”を築き上げた結果であると断言しています。
企業の研究開発などの“現場”においては、とかく国家の存在とか、前回も取り上げたような)「政治力」の役割を矮小化する傾向が強い今だからこそ、“国家が果たしてきたこのような役割を再認識することが重要である”と著者は強調していますが、全く同感です。
長い間、わが国はそれぞれの“企業努力”によって研究開発費を捻出することによって、文字通り、「メイド イン ジャパン」を現実のものにしてきた歴史があります。改めて、本田宗一郎氏や松下幸之助氏をはじめ先人たちの「会社の発展に留まらず、広く世の中の人々が便利にそして幸せに暮らせるように」との技術者そして経営者としての“高い志”を知ると涙さえ出ます。
一方、基礎研究の分野においても、これまでさんざん利用し、今も利用しているコンピューターやインターネットなどはすべてアメリカ政府や軍が主導して開発した軍事技術が民生技術に“スピンオフ”されたものであることを知りながら、日本学術会議などは、長い間、軍(防衛)関連の研究開発を拒否し続けて来ました。最近ようやくデュアルユース(軍民両用)の先端技術研究は否定しない姿勢を示しているようですが、いまだ“つける薬”がない学者たちもかなり存在することでしょう。
このあたりに、転落しつつある「トップ10%論文」、かろうじてトップを走りながらものの情報通信技術、電気工学などのシェアが他国の追い上げを受けて低下しつつある「特許数」、さらには「デジタル競争力」の低下傾向などの根本原因があると推測しています。
文部科学省の「科学技術白書」にも、近年の基礎研究力の低下傾向に対して、「日本の研究力を今後どのように活性化させ展開していくか大きな岐路に立たされている」と指摘し、「国民的な議論と共通認識の醸成が求められている」と遠慮深げに懸念を表明していることを紹介しておきましょう。
当然ながら、「国力」に関連する他の要素同様、「科学技術」の向上についても政府側に問題があることは否定できないでしょう。「政府の研究開発費」のシェアが列国のシェアの半分ほどしかないことなどを見るにつけても、歴代の内閣が問題意識をもって真剣に取り組んできたとはとても思えないのです。
わが国の伝統的な「ものづくり」技術は他の追随を許さず、これから先もそのような技術やスキルが絶えないことをひたすら祈るものですが、それらをベースにしつつ、国家や社会、あるいは人類社会の未来を左右するようなイノベーションの実現するためには、(表現は悪いですが)これまでの家内工業的な技術の伝承などとは比較にならない“想像を絶するリスク”が伴うことは明白でしょう。
それらが一企業や一研究機関が受容する限界を超えることは間違いなく、“「リスクの許容は国家の仕事である”との認識のもとに、「公共投資によってイノベーションを起こすことが国家(政府)の役割」との考えが政治家や官僚に広まることを期待したいと思います。
そしていつの日か、「日本版GAFA」が誕生するなど、後世、「日本政府が企業家として目覚めた結果、今日の繁栄がある」と大絶賛されることを目指して、政府が陣頭指揮してほしいと願っています。
▼世界を変えるテクノロジーは何か
「科学技術」の最後に、『世界を変える5つのテクノロジー』(山本康正著)に紹介されている5つのテクノロジーを参考までに紹介しておきましょう。私個人は必ずしもこの5つのテクノロジーに集約されるとは考えていませんが、アメリカ政府がGAFAを育てたように、世界に称賛され、企業としても大発展する可能性がある、代表的なテクノロジーとして看過できないことは間違いないと考えます。
まず第1は、将来の食料不足を予測した「フードテック」です。700兆円市場が「フードテック」には見込まれているとのことで、細部は省略しますが、ビル・ゲイツが取り組もうとしている、例えば代替肉バーガーなどの製造技術などを指しています。さらに、わが国の農業従事者の減少に対する対策としての「植物工場」のような技術も含まれています。
第2には、人口減や過疎化の進展、あるいは所得格差増大などを背景に教育格差が益々広がることを予測した「エドテック」です。所得格差やジェンダー格差などによる教育機会の不平等はあってはならず、それらの問題が生起しないような様々な教育技術はまさにこれからの課題でしょう。
第3には、高齢化が進む将来において、医療や介護需要の拡大は必須でしょうし、健康年齢の引き上げまでを視野に入れた「ヘルステック」は我が国のみならず、人類社会にとっての課題であり、夢でもあるでしょう。
第4に、「気候変動」を抑制しつつ、いかにエネルギーを確保するかの観点からの「クリーンテック」もしばらくの間、国際社会の注目を浴び続けるでしょう。わが国の場合、「気候変動」対策よりもエネルギー確保を優先すべきと考えますが、その両方の目的を達成できることに越したことはありません。今後、様々な技術のブレークスルーが待たれると考えます。
第5に、人類が社会生活を営む上でゼロにすることができないのが様々な廃棄物です。その量も大量です。これらを再利用する「リサイクルテック」も新たな発想と革新的な技術が必要なことでしょう。
このように、将来の人類社会に必要となってくる先端技術を挙げればキリがありませんが、最近話題の生成AIもこれらのテクノロジーの開発に有効に活用すべきでしょうし、AIとかロボットをはじめ、まだ見ぬ将来技術など、様々なテクノロジーの集大成の先に答えが待っていることでしょう。
繰り返しますが、途方もないリスクも抱えることでしょうから、関係企業の努力のみならず、国を挙げての取り組みが必要不可欠ですが、最後は「人」であり、これらに果敢に取りくみ、新たなテクノロジーを生み出す「人材」を“いかに育成するか”がカギを握っていると考えます。次回、そのための「教育」の現状や将来方向を取り上げてみましょう。(つづく)
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)