我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(87)『強靭な国家』を造る(24)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その14)

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我が国の未来を見通す(87)『強靭な国家』を造る(24)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その14)

□はじめに

 今回は、これまであまり取り上げて来なかった話題に触れてみましょう。最近、百田尚樹氏が「日本保守党」を旗揚げし、フォロアー数がすでに自民党を超えたことを自ら月刊誌に発信していました。

旗揚げに至った理由についても縷々述べておりましたが、前回紹介したような我が国の現状に対する“いらだち”や自民党、特に保守系の政治家に対する期待感の喪失が百田氏を本気モードにさせたようです。彼らに対して「国民を裏切ってきた」の厳しく批判しているところにその決意のほどが窺い知れます。

個人的には百田氏の心境をよく理解できるつもりですが、私自身は、自衛官を退官した後も“気持ちの上では”「生涯自衛官」を決意し、引き続き「政治的活動には関与せず」と誓いを立てました。

退官後も、様々な(特に保守系の)団体からお誘いもありましたが、“その色に染まる”メリットとデメリットを勘案し、あえて所属することを辞退し、あくまで“肩書”なしの一個人の立場で、できる範囲で活動することを心がけ、実践してきました。

メルマガ発信などもその一環として実行していますが、私たちは、人を“肩書”で判断し、自分の考えに近い組織に所属する人が書いたり話したりすることには目を開き、耳を傾けますが、自分の考えと反対側にいる人たちが書いたり話したりすることには拒否しがちで、歩み寄ることも交わることがないのが通例です。

つまり、保守系の人たちがいくら“いきり立って”立派な主張を述べても、革新系の人たちには届かず、理解もされず、“揚げ足”をとられるか、反論のための理屈を並べ立てる材料にしかならないのです。そして、その逆もまた“真”でしょう。

このように、戦後の出発点から70数年の間、政党名などがひんぱんに変わることはあっても、たとえば、憲法とか国防などの根幹の部分はお互いにほとんど歩み寄ることなく、(失礼ながら)不毛の議論に時間を費やしてきました。このようなことが“我が国をどれほど不幸にしているか”、政治家と言わず、大多数の国民もそろそろ気がつかねばならない時期に来ていると考えます。

私は、最近は特に、幅広いテーマについて様々な立場から書かれたものを読む機会がたびたびあります。現在も、「日本を守ってきたのは憲法9条と国民の平和希求だ。戦争を放棄した国に戦争を仕掛けてくる国はない」(原文のママ)と堂々と書いている大学教授ら著名人が書いた書籍を読んでいます。

少し前に発刊された書籍ではあるのですが、当時の国際情勢の分析の視点が私などとは180度も違うので、とてもおもしろいし、参考になります。このような人たちに、その後の国際情勢は自分たちの分析どおりに展開したのか、もし違っていたのであればその原因はどこにあったのか、とか、「ウクライナ戦争」や「中台問題」などをどのように分析しているか、などについて訊ねてみたい衝動にかられます。一方で、このような人たちは、永遠に“こちら側”に来ることはないのだろうと思ってしまいます。

心配するのは、このような考えを持つ先生たちに教えられた学生は“先生の考えに染まってしまう”、つまり、“世代が変っても、考え方の対立構造が変わることがないのではないか”ということです。現在は情報が溢れています。若い世代の皆様には様々な情報に接して、先生の考えの是非をみずから咀嚼するなど、何としても“賢くなってほしい”と願わずにはおれません。

今回はこのくらいにして、この続きは、のちに取り上げる「国家意思」のところで触れましょう。

▼「国力」の「ハード・パワー」の総括

さて、だいぶ前に「『強靭な国家』造りは、『国力』の増強に挑むことにある」と考えるに至り、私なりに「国力」を新しく定義することから始まり、以来、13回にわたり、「国力」を構成する「ハード・パワー」のそれぞれの要素ごとにブレイクダウンして分析してきました。

改めて、76話で取り上げた「国力」を定義する方程式を再提示します。

国力=(人口+領土+経済力+軍事力+食料・天然資源+政治力+科学技術+教育+文化)×(国家戦略+国家意思)

です。人口や領土など、ある程度数値化してイメージ・アップしやすい「ハード・パワー」を、(粗々ではありますが)実際に個々にブレイクダウンして分析した結果、なかには「政治力」とか「文化」など国際比較が難しい要素もありましたが、「国力」を構成する要素としてほぼ漏れがないものと自負しております。

そこで、「ソフト・パワー」としての「国家戦略」や「国家意思」を考察する前に、「ハード・パワー」を総括しておこうと思います。

まず、「ハード・パワー」の筆頭に「人口」を掲げました。「人口減」が即、「国力の低下」に直結するのはあらゆるデータから疑いようがありません。その対策としてこれまでも何度も試みられ、現在も、“異次元の対策”が現政権の看板政策として掲げられていますが、戦前のように、国家が半ば強制的に「産めよ!増やせよ!」と号令をかけることができない今、“どのようにすれば、適齢期の若者たちが子供を産むのか”の本質的な議論が欠けているような気がしてならないのです。

その答えの一つは、「将来の希望があるかどうか」にあると考えます。言葉を代えれば、人口減を防止して、再び人口増に転じる方策は、小手先の子供手当などばかりではなく、「未来に希望が持てる国造り」にかかっているのではないでしょうか。つまり、「国力」を構成する他の要素と密接にかかわっているのです。

次に「領土」です。人類の歴史は、かつての植民地主義のように、武力に“物を言わせて”一方的に「領土」拡大を企図するか、はたまた、互いの「領土」争奪を目的とする「戦争」の繰り返しだったことはすでに述べました。そして、「外国資本による土地の購入」防止を含めて、“寸土”といえども「領土」を守り抜く強い意志が必要であることを強調しました。

戦前の反動として戦後の日本人が失ったものの中で最大のものは、「国家を誇りに思う心」とか「愛国心」であり、さらには「国を守る」意識であろうと思います。ウクライナ戦争のように、今なお「領土争奪戦」が繰り広げられていることから、「領土」を守るための最終手段として「軍事力(防衛力)」が必要不可欠なことも自明であり、「防衛力」を保有することに対する理解と支持を含めて、「領土」も「国力」の他の要素と切り離して考えることは不可能です。

次に「経済力」です。我が国は、依然、GDPは世界第3位をキープしていますが、「経済力」を比較するほとんどの指標が“右下がり”になっていることはすでに紹介しました。中でも、「1人あたり名目GDP」(USドル)は30位まで低下、「経済成長率」も「失われた30年」と揶揄されるようにほとんど停滞し、デジタル競争力などの「国際競争力」も低下傾向にあります。

「財政」「通貨」などに加え、「科学技術」や「教育」など、「経済力」を強くするために、“打たなければならない手”(打ち手)は多岐に及ぶでしょう。小手先の「物価」対策に奔走しているだけで不十分なことは明らかです。

次に、「軍事力(防衛力)」です。我が国が戦後、「吉田ドクトリン」によって国家の安全保障の大部分を日米安保条約に委ね、「軽武装重経済」の路線を歩んできたことはすでに述べ、現下の厳しい情勢の中で、その路線を保持し続けるだけで十分なのか、についても問題提起しました。

昨年末、ようやく「安保3文書」も策定されましたが、依然、“かゆい所に手は届いていない”ことも指摘しました。「防衛力」については、依然、国民の中に各論があることから、この分野こそ、為政者の断固たる決意と実行が求められています。某月刊誌の見出しにあった“作文だけに終わらないよう”祈るばかりです。

次に「食料・天然資源」です。これらの乏しい「自給率」の“生”のデータをみると、食料やエネルギーの将来にわたる安定確保こそ、我が国の最優先課題と言えるでしょう。

我が国は、元来の「性善説」を保持し、かつ戦後長い間のアメリカの“庇護”に慣れ過ぎたせいか、世界の人口増や国際情勢の急変などに対する「危機意識」を持つ“感性”を失ってしまいました。人口減などに伴う「経済力」の低下も手伝って、食料やエネルギーなどの安定確保のパワー自体が落ちることも懸念されます。

農業など「一次産業」の保護政策についても、「聖域なき構造改革」などと“戦略のかけらもない”ようなことを繰り返してきた結果、先進国の中でワーストだったことも判明しました。この分野も、(言いにくいことではありますが)選挙対策最優先の政治家や現場感覚が欠如している官僚に任せておいた“ツケ”が溜まっているという事実を再認識しなければならないでしょう。

また、気候変動対策とエネルギー確保については、雰囲気や情緒に流されず、科学的根拠に基づき、資源小国の日本ができること、やらなければならないことを冷静に選別しつつ、我が国が“国家として生き残るための優先順位”を間違わないことが肝要でしょう。

次に「政治力(外交力)」です。すでに「政治家」の「資質」について取り上げました。若干付け加えますと、我が国の国会議員710名の約27~28%はいわゆる世襲議員で、自民党に至っては約4割が世襲だそうです。G7を含む先進国の国会議員の世襲の割合は1割以下なので、我が国の世襲議員の割合は、先進国平均より異常に高くなっています。

世襲議員が悪いと言っているわけではありませんが、「政治家」という仕事は、一般的な「親の家業を子供が継ぐ」こととその本質が異なることは明らかです。いくら「地盤、看板、鞄」が十分でであっても、当人に政治家としての「資質」があるかどうかが問題なのです。

不幸なのは、これら「3バン」が盤石で“必勝間違いない”候補者に対して、政治家としての「志」や「資質」に勝る候補者が勝てないことです。有権者たる国民にそれを見抜く力が要求されますが、実態は“ほぼ見抜けない”か、“白けて”しまって“政治離れ”になることが心配されます。現にそのような現象が起きていることも紹介しました。

巷には、政治家がサラリーマン化し、「自分がやらなければ、日本はダメになる―そんな熱い政治家はいないのか」と“現状”を嘆く意見も散見されますが、「国家観」をしっかり持って、背水の陣で国をリードする「志」と「資質」を有する政治家(達)の“一念発起”、省益を捨てそれを支える官僚、それを支持し、エールを送って国民を感化善導する有識者やマスコミが我が国の未来を左右することでしょう。

次に「科学技術」です。近代から現在に至る国際社会で、世界の覇権国としてその地位を保持し続けているアメリカをして、それを可能にさせている要因の筆頭に「科学技術」に対する国家戦略が挙げられ、その戦略の果敢な推進が他国の追随を許さなかったのでした。

我が国あっては、「ものづくり技術」という伝統的な能力を持ちながら、時代の変化を先取りするような戦略を立てきれなかったところに今日の低迷があるのではないでしょうか。予想される様々な将来環境の中で、人類が“より幸福に”“より豊かに”日々の生活を営むために、期待されるイノベーションは限りないことでしょう。それらのイノベーションに対するリスクを国家が引き受ける覚悟と実行こそが、日本の未来はおろか、明日の人類を救うことでしょう。

次に「教育」です。「国家100年の計」としての「教育」についても紹介しましたが、「低学歴国」と揶揄されるように、その現状は寂しいものがあります。残念ながら、戦後の長い間、様々な原因が重なって、国家として「教育」を怠ってきた“ツケ”がこの分野も溜っているのです。この分野も専門集団に任せないで、早急にメスを入れる必要があるでしょう。

最後に「文化」です。歴史的にみれば、国際社会を席捲した「西欧文明」に“棹を立てた”最初の国が「日本文明」でした。現在も8文明の一つとしてかろうじて残っている「日本文明」ですが、文明間の“調整役”として機能発揮する「力量」を保持しているのか、と自問自答すれば、寂しいものがあることも紹介しました。

「一国家一文明」として孤立しているがゆえのメリットがあるとハンチントンは期待していますが、そのためにも国家としての「力量」をアップする前に立ちはだかる、様々な“障壁”を乗り越える必要があるでしょう。逆に、“調整役”としての機能を発揮することが国家の「力量」アップに繋がる道であるとも考えます。

▼「ハード・パワー」の総括からわかったこと

さて、これら「ハード・パワー」を総括してみて改めて分かったことは次の2点です。第1点目は、繰り返しますが、「我が国の『ハード・パワー』はほぼ例外なく“下降期”に入っていること」です。まずはこの“現実”を認識し、急ぎその原因を究明しつつ、それぞれ必要な処置を講ずる必要があると考えます。

第2点目として、これまで、それぞれの専門家(達)がそれぞれの知見をもって現状改善や改革を試みたことは何度もありますが、ほとんどドラスチックな改善には至らなかったという“事実”もまた再認識する必要があるでしょう。

その理由も明白です。何度も繰り返したように、「ハード・パワー」のそれぞれの要素は、相互に関連し合っていることから、それぞれの専門家(達)の“狭い了見”をもってしては抜本的な解決策を導くまでには至らず、そればかりか、“ある分野の最適解が他の分野に悪影響を及ぼしている”ような現象もかなりあることを認識する必要があるのです。

なかには、憲法はじめとする法制度や戦後政策上の制約、国会対策上立場が異なる政党への対策、省毎の縦割り責任を有する官僚への説得限界や妥協、あるいは国民への説明責任のようなものから、改善あるいは改革計画を当初案から大幅に修正せざるを得なかったという側面も影響していることでしょう。その根本をたどっていくと、我が国の戦後の「統治制度」の問題に行き着くのかも知れません。

一方、それぞれの要素を現状分析しているうちに、“未来へのヒント”がたくさんあることも発見しました。“勇気をもって一歩踏み込めば、まだまだ打開の道はある”としばしば感じたことも事実でした。

総じて言えば、「国力」増強の集大成として「強靭な国家」を造り上げることは容易なことではありませんが、振り返れば、先人たちもその時代時代の“課題”に果敢に立ち向かい、時に様々な失敗を繰り返しながら困難を克服しつつ、現在に続く「資産」を残されました。それらに乗っかるような形で、私たち・戦後世代は、“割と贅沢な生活”を謳歌できているのです。

これからしばらくは、私たち・戦後世代がもがき、苦しみ、考え、実行し、我が国の「資産」を受け継ぎ、後世のために残して行く、つまり、しっかりと“歴史の縦の糸をつぐむ”ことが求められているのではないでしょうか。

次回以降、そのための「ソフト・パワー」について、少し詳しく考えてみたいと思います。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)