我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(72)『強靭な国家』を造る(9)歴史から学ぶ「知恵」の適用(その4)

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我が国の未来を見通す(72)『強靭な国家』を造る(9)歴史から学ぶ「知恵」の適用(その4)

□はじめに──「部分最適は最適にあらず」
 
前回まで、歴史から学ぶ4つの「知恵」のうち、「孤立しないこと」と「相応の力を持つこと」の未来への適用を考えてきました。その過程においても時々触れてきましたが、我が国にはどうも「部分最適をもって良し」とする風潮があるようです。もっと詳しく言えば、様々な行政の分野で、「それぞれの分野の専門家や有識者などの意見に権威を持たせ、その判断を最適としてそれに委ねる」ことをもってそれぞれの課題や問題に対応する慣例が出来あがっているようです。

マスコミ的に言えば、そのようなやり方が「民意」であったり、時には「民意でない」と批判されることもあるようですが、その典型的な事例が、近年のコロナ対応だったことでしょう。未だ、「あのような対応で本当によかったのか」についての検証はないようですが、それはさておき、専門家や有識者とは、学者や医者、マスコミ人、そして各省庁の官僚たち、それらのOB・OGなどが一般的です。

専門家たちは確かにその道に精通しているのでしょうが、他の分野に対する見識が不十分か、バランスを欠く傾向にあることも事実でしょう。少し例示しますと、(あえて名前は伏せますが)農業とか食料問題に精通して的確な提案をされている方が「防衛費を2倍にして約5兆円も増額するなら、食料自給率向上にも予算を投入すべき」として「防衛予算から農業に予算をシフトして食料安全保障確立助成金を創設すべき」と主張していました。同様に、日本の人口減やGDP減少に警鐘を鳴らす某教授は、「防衛費をGDPの1%から2%に増やすことにどれほどの意味があるか」「今後の安全保障は外交の問題だ」と堂々と持論を主張していました。お二人ともその分野ではかなり高名な方で、本メルマガでもたびたび引用しておりました。

私は、本メルマガを発信し始めてから、これまでには経験しなかった様々な分野の書籍を漁るようになりましたが、このような“その道(だけの)の専門家の主張(見方)”に出くわし、しばし戸惑いました。人口も食料もエネルギーもそれぞれの安全保障は国の基本と考えますが、一方で、専門以外の視野の狭さ、つまり、それぞれの専門家には“専門の域を抜けない限界が根底にある”ことを知ってしまったのです。

想像するに、戦前の軍人たちもそうだったのでしょう。「統帥権」を盾に“軍事最優先”に凝り固まり、他の行政とのバランスを欠きながら、国の舵取りを行なったのでした。ただ、「史実」を詳細に調べると、その実態は少し違っており、戦前の我が国には、国の重要な国策を検討する時には、若手の官僚、学者、軍人などに加え、思想的な問題で警察からマークされている人材までメンバーに加え、じっくり検討させ、その結果を政策に反映させるという“柔軟性”も持っていました。

現在はどうでしょうか。本来ならば、国民から負託を受けている政治家の先生方が「ゼネラリスト」として、内閣が判断して、政策を実行したり、あるいは国会の場で「部分最適を是正し、全般最適、つまり『何が国益か』の観点から判断し、その結果、必要な時には法律を制定する」ことまで求められているのでしょう。もちろん、それらがうまく機能する場合もあるでしょうが、「国益」という言葉自体の使用さえもはばかられている現状を含め、常に“選挙”を意識しなければならない政治家の先生方に限界のようなものを感じるのも仕方ないのでしょうか。

今朝(6月23日)の産経新聞9面、シリーズ「モンテーニュとの対話」の中で、モンテーニュの言葉の引用として次のような一文を見つけました。「法律はしばしば愚者によって作られ、(中略)空にして心定まらぬ人間によって作られているのである」「法律が信頼されているのは、それらが正しいからでなく、それらが法律であるからだ。これが法律の権威の不可思議な根拠で、他の根拠はないのである」とです。

本シリーズの起草者が、最近制定された“ある法律”(あえて具体的名称は避けますが)に疑問を呈するために引用した一文ではありますが、「愚者」は言い過ぎにしても、「空にして心定まらぬ」には思わず納得してしまう自分がいることに気づきました。

『安倍回想録』にも政治家と官僚(時に財務省)の“熾烈な戦い”が赤裸々に暴露されていましたが、それでも比較的関係が良かったといわれる経産省主導のGXの実際の計画を改めて読みますと、経産省の官僚が書いた作文であることは一目瞭然で、多少は政治家や他省庁の意見が入っているとはいえ、正直なマスコミは「“経済産業省が提唱する”脱炭素社会に向けた取り組み」と見出しがつけて記事にしていました。

それでも、(すでに指摘しましたように)経済産業省が仕切るGXなどはまだいい方でしょう。関係省庁が多い上に、経団連や日本商工会議所なども議論に参加し、いわゆる「国を挙げて」の雰囲気があります。他方、昨年末の戦略3文書などは、内閣府、防衛省、外務省、財務省、経産省ぐらいが関係省庁となっていることから、「国を挙げて」というレベルにはほど遠いとの感想を持ちます。

だからこそ、ウクライナ戦争をはじめ、周辺情勢がこれほど厳しくなっている現下の情勢下、この場に及んでも「防衛費増額の裏付けとなる財源確保法の制定など、政権を担う資格がない」と、本音かどうかは不明ですが、ノウテンキな議論を堂々と主張する野党も出てくるのでしょう。

ちなみに私は、この度制定した「防衛財源確保法」において、税外収入や決算余剰金などを捻出して「防衛力強化資金」としてプールすることは大賛成です。これまでも指摘しましたが、例年、ジャブジャブの補正予算や192件、13兆円にも及ぶ基金事業などを見直せば、まだまだ増税に頼らなくとも資金の捻出はできると考えるからです。

やはり、様々な政策を束ねて、「国益」の観点から我が国の向かうべき方向を示す国策、もっと大上段に構えれば中長期的な「国家戦略」のようなものが必要と考えますが、これについては第4編「『強靭な国家』を作る」の最後の方でまとめて触れましょう。

一方、小泉内閣以来、各内閣は、経済財政運営と改革の基本方針として「骨太の方針」を閣議決定し(今年は6月16日でした)、その実行を目指していますが、これをもって「重要国策」あるいは「国家戦略」と呼ぶのは難しいでしょう。何よりも、「骨太の方針」に対するマスコミの対応や国民の反応がなぜかいつも冷ややかで、関心外にあるとの感想を持たざるを得ないのです。

正直申し上げますと、私は時々、戦後定着した、我が国の民主主義や政治のやり方がもはや限界に来ているのではないか、と思うことがあります。やはり、その根本である「国の統治制度」そのものを見直す必要があるのではないでしょうか。このような問題意識を持ちながら、歴史から学ぶ「知恵」の3番目に筆を進めることにします。

▼「時代の変化に応じ、国の諸制度を変える」必要性
 
拙著『日本国防史』に中でも紹介しましたが、我が国には、国を統治する制度を一度創り上げると、たとえ形骸化しようともよほどのことがない限り、それを廃止あるいは改正しないという「国柄」があります。

この「国柄」の良し悪しの判断自体がかなり難しいことも事実ですが、701年に「大宝律令」として制定された「律令制」は、その後幾度か見直されはしましたが、明治18年に「太政官制」に代わる「内閣制度」が創設され、明治22年の「大日本帝国憲法」によって完全に廃止されるまで、実に約1200年間も温存されたのでした(いつ廃止されたと見なすかについては緒論あります)。

その「大日本帝国憲法」は昭和21年に「日本国憲法」が公布されるまでの57年間、そして現憲法は、一度も改正されることなく、今年で77年目を迎えます。現憲法は、今や188国中14番目に古い憲法となり、「改正なし」という点では世界最古の憲法になっているようです。

大東亜戦争の間、主に作戦参謀として勤務し、陸軍首脳部の内側で戦争を体験された瀬島龍三氏は、1998年に『大東亜戦争の実相』を上梓し、その中で「大東亜戦争の7つの教訓」を紹介しています。

詳しくは省略しますが、第3番目に「時代に適応しなくなった旧憲法下の国家運営能力」を掲げ、「明治憲法下における天皇の政治権力の運営統制機能が、昭和の動乱時代には適応できなくなった」と指摘しています。瀬島氏は、「明治時代は、(憲法にその規定がなかった)元老が御前会議にも出席し、憲法による統治権力の構造的欠陥をカバーしていたが、元老がほとんど他界してしまった昭和時代にはそれができず、陸海軍の対立や政府と統帥部の不調和などをカバー出来なかった」と当時の実態を明かします。

現在の我が国の諸制度は、戦後の占領時代に、GHQの統制(強制というべきか)のもと、現憲法をはじめとして、その骨格が制定されました。以来70年あまりの間に、確かに様々な法律の制定や改正は逐次行なわれては来ましたが、内外情勢の急激な変化をはじめ、様変わりした国民の価値観や生活スタイルなどに追随できているかと問えば、「追随できている」と肯定することはできないでしょう。

これまで取り上げた国防をはじめ、我が国の将来に立ちはだかるであろう様々な課題や問題に対して、個々の対応ではどうしても限界があり、国を統治するための諸制度の根本的見直しが必要である、とどうしても考えてしまいます。

▼具体的な統治制度の改革

その根本とは、何と言ってもまず「憲法改正」にあると考えます。この後に述べる「歴史から学ぶ知恵」の4番目である「健全な国民精神の涵養」と“どちらがニワトリでどちらが卵か”との議論があるでしょうが、「少子高齢化問題」、「農業・食料問題」あるいは「気候変動・エネルギー問題」のような問題に対して、国民一人ひとりが“我が事”と考えて真剣に立ち向かうような「強靭な国家」を造り、未来に繋いでいくためには、その源流に位置する憲法までさかのぼる必要があると考えるのです。
 
安倍内閣時代から、「自衛隊を憲法に明記する」ということが提案され、それさえも遅々として進展しない現状ではありますが、私自身は、その程度の改正では不十分と考えます。再び、現憲法のどの部分が時代に適応しなくなったのかをあらゆる角度から分析し、「新憲法を制定する」くらいの決断が必要なのではないでしょうか。

専門外の私などがその成案を持っているわけではないですが、アメリカ6回、中国10回、イタリアとカナダ19回、フランス27回、ドイツに至っては67回も改正している事実を学び、「現憲法が制定された70年以上も前の情勢と現在、そしてこれから先の情勢と何が違うのか」「現憲法下でそのような情勢の変化に効果的ない対応し、我が国が混乱なく発展し続けることができるのか」などについて、各界の代表を選りすぐってしっかり議論を重ねることでしょう。

改めて、戦後の占領時代、憲法が制定された経緯をつぶさに調べますと、あきからに、(象徴ではありますが)天皇制の存続、つまり国体の護持を“人質”にされながら、他の規定については、GHQ案で我慢したという事実があります。

憲法など、諸制度の改正には巨大なエネルギーを必要としますが、そうであっても、“手遅れになる前”に、政治家、官僚、学者(特に憲法学者)などがこぞって本気になって改正案をまとめ上げ、国民の審判を受けることが、今を生きる私たち世代の責任であると考えるのです。

私は、明治維新において、なまじ、プロシア型の君主の権力の強い立憲君主制を導入したばかりに、昭和になって国の舵取りを誤る要因になったと考えています。戦後はGHQの強制と戦前の反動から全く正反対の“欧米型”(という言葉が適切かどうかは不明ですが)の民主主義になりました。

私は、欧米諸国の“真似”から脱却して、我が国が古来より保持し、他国に誇れる「日本型立憲君主制」の復活にその解があると考えます。 その意味では、戦前と戦後の統治制度の中間に、我が国の進むべき方向があるのではないでしょうか。今回はこの辺までにしておきます。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)