□はじめに
久しぶりにウクライナ戦争を取り上げましょう。7月23日、またしてもロシアへの不信感が増大する事案が発生しました。ロシア軍の巡航ミサイル「カリブル」が黒海の軍艦から発射され、そのうちの2発がオデーサ港に着弾したのです。
幸い、死傷者も港湾インフラも大きな被害はなかったようですが、世界の食糧危機が叫ばれ、それを回避するために、トルコや国連が仲介役になって、ようやくウクライナとロシアの間で輸出再開や航行の共同監視を軸に合意文書が交わされた翌日のできごとでした。
ロシアは、当初はミサイル攻撃を否定していましたが、その後に「軍事インフラを狙った」と攻撃の正当性を主張しました。もし、本攻撃が、ロシア政府(つまりプーチン大統領)の命令によって、このタイミングで実施したとなれば、“別な意図”があったと考えるのが常識です。「世界の食料危機悪化の全責任をロシアが負うことになる」とウクライナ外務当局の発表のみならず、国連事務総長も非難声明を発表しましたが、当然、この程度の反発は想定内でしょう。
仮に、ロシア政府の命令なしに現地指揮官の判断による攻撃だったとすれば、いよいよロシア軍の“タガ”は救いがたい程度に破壊されていることを意味するのではないでしょうか。
ロシア当局が、当初は否定していたことから、現地指揮官の判断によるミサイル攻撃だったとも推測しますが、過去の戦争において、現地の部隊が中央の意図に反する行動をとったことは枚挙に暇がありません。このような場合、なかなか真相が明らかにならないのも歴史の教えるところですし、“後に引けない”政府が現地の判断を容認し、その事実を巧みに活用することも何度も繰り返されてきました。
その後、ウクライナが穀物輸出を週内にも再開するとの報道がありましたが、今後も何かあればロシアの攻撃の脅威にさらされ、輸出がストップする、つまり、しばらく世界の食料事情はロシアのコントロール下にある状態が続くことを覚悟しなければなりません。定期点検という名目で欧州に対する天然ガスの供給を一時停止しましたが、言葉を代えれば、ロシアが「エネルギー」や「食料危機」を“戦争の武器”として使い始めたと考える必要があります。
ロシアによる占領地の「同化政策」を強行しているとの報道もありますが、当面、「現状」の打開に動く“救世主”も期待できないことから、残念ですが、事態はますます“泥沼化”していくことでしょう。
▼国民の「農業・食料問題」への関心
戦争開始後5か月を経た現在、慣れてしまったのか、ウクライナ戦争への関心が少なくなっており、我が国においても、当戦争への報道がめっきり減ってしまいました。多くの国民が「食料危機にほとんど関心を持たない」ことの方に私はよけいに危機意識を持ちます。冒頭のように、「世界の食糧危機」を左右しかねない事案が発生していることへの関心を含め、日本そして日本国民のこの危機意識のなさはどこから来ているのでしょうか。
先般の参議院選挙においても、農業や食料問題については話題にすらならなかったと記憶しております。我が国の選挙制度は、いつも「1票の格差が大きくなると、『すべての国民は法の下に平等』とする憲法14条に違反する」みたいな話題ばかりがクルーズアップされ、そのたびごとに格差是正のために選挙区の見直しが行なわれ、地方出身の議員が減り、都会出身の議員ばかりになりつつあります。
当然、都会の候補者は都会に住む人たちが関心を持つ話題(聞けば、どうでもよいような話題ばかりですが)を流し続け、高齢化した有権者がほとんどの地方にあっては、年金とか医療とか高齢者向けの話題に集中します。昔はよく「農林族」という言葉がマスコミでも取り上げられましたが、農業が「票」に結びつかない現在はたぶん死語になっているのでしょう。また、地方出身で声が大きく、力もあった“大物政治家”も次々に姿を消しています。
6月、農林省から「食料の安定供給に関するリスク検証」が公表されました。確かに、新型コロナやウクライナ戦争の影響で、日本がその大半を輸入に頼っている飼料や肥料、穀物の価格高騰が「重要なリスク」と位置づけされているようですが、そのような文書が公表されたこと自体が話題にならないので、大多数の国民は知らないでしょう。
実際に読むと、いかにも役人が作った文書らしく、全般網羅型の文章が“他人事のように”綴られており、そこから“深刻な危機意識”を感じることができませんでした。個人的な印象では、失礼ながら「農林省は、このような“アリバイつくり”を何度繰り返してきたのだろう」と思ってしまいます。
先般、岸田政権ではじめて策定された「骨太の方針2022」においても、方針の末尾に近い第3章の最後の方に「食料安全保障の強化と農林水産業の持続可能な成長の推進」の中項目で、①世界の食料需給等を巡るリスクが顕在化していることを踏まえ、生産資材の安定確保、国産の飼料や小麦、米粉等の生産・需要拡大、食品原材料や木材の国産への転換等を図る、②将来にわたる食料の安定供給確保に必要な総合的な対策の構築に着手し、食料自給率の向上を含め食料安全保障の強化を図る、③気候変動に対応しつつ人口減少に伴う国内市場縮小や農林漁業者減少等の課題克服に向け、人材育成を始め農林水産業の持続可能な成長のための改革を進める、④みどり戦略の実現に向け、新技術の開発、有機農業の推進、環境負荷低減の見える化等を進める、など農林省の“手製”と思われる従来の農業政策が羅列されているだけで、政府の危機意識も意気込みも新鮮味も感じられません。よって、マスコミさえ関心を持たず、記事にもしませんでした。
後日、産経新聞には、心ある記者が「新自由主義で食卓は守れるのか」「農業を広げる気があるのか」と取り上げましたが、「さもありなん」と思いつつ、農業・食料問題の厳しい現状と将来、遅々として進まない政府のリード、低い国民の関心と危機意識などに対して、「このままでいいのか」との懸念がよけいに増すばかりです。
▼「農業の魅力化」PRの必要性
農業や食料問題の現状と将来は厳しいものがあります。しかし、その厳しさだけを訴えても問題の抜本的解決には結びつかないことは、「現状」が物語っています。解決に向かっての重要な鍵は、いかなる形であっても「農業が魅力ある事業」であることを理解し、農業分野に参入する法人が増えること、そして、いかなる形であっても、社会的な意義や処遇や働き甲斐などが他の職業に決して負けない「魅力ある職業」として農業を選択する人が増え、これらの総和で「農業の従事者が増える」ことに尽きると考えます。
企業など法人の参加には様々な形があることも明白です。繰り返せば、ア)資本のみ参加、イ)自社の得意分野を拡大する方向で農業分野に進出、ウ)農業生産法人を買収あるいは支援する形で参加、エ)新たな農業生産法人等の立ち上げ、オ)未来の農業への先駆者となるような分野の開拓などです。
5月28日に発売された週刊「ダイヤモンド」には『儲かる農業2022』として、「大離農時代後の農業はどうなるのか」という観点から様々なデータが紹介されていました。その内容は、決して悲観的なものばかりではなく、「儲かる農業」としてかなりの数の農業法人等がすでに参入し、売上高100億円を越える「豪農」も出現しておいることも記事にしていました(その一部は本メルマガでもすでに紹介済みです)。
また、「スマート農業」の分野においては、AI、ロボット、センサーなどのIT技術を最大限に活かす場として、この分野の達人たちにとっては「農業は、最大・最強・最高な舞台」であることも間違いないでしょう。
日本が最も遅れている「有機栽培」や「自然栽培」などもまだまだ発展途上にはありますが、日本の農業を救うばかりか、環境問題や日本人の食生活の抜本的な改善につながる大チャンスでもあります。
さらには、最近話題の「SDGs」、つまり、国連が定めた持続可能な開発目標の実現に向かって、日本政府も2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする方針を掲げ、経済界をあげて動き始めています(この細部については第3編で取り上げます)。
農業分野と「SDGs」は切っても切り離せない関係にあることは明白です。「食料を供給すること」は目標2「飢餓をゼロに」そのままですし、農業が地球環境にさまざまな影響を与えること、特に、農薬の生態系への影響、化学肥料が石油や天然ガスなどの化石燃料を使って生産しているため水質汚染や地球温暖化につながることから、目標12「つくる責任つかう責任」、目標13「気候変動に具体的な対策を」、目標15「陸の豊かさを守ろう」、目標14「海の豊かさを守ろう」まで関連するでしょうし、農業分野の雇用を支えることは、目標8「働き甲斐も経済成長も」や目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」に関連します。
2016年、内閣府から「Sociaty 5.0」が発表されました。このような事実もどれほどの人々が知っているのか不明ですが、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立し、新たな未来社会の実現として提唱されたのが「Sociaty 5.0」です。
経団連は、「Sociaty 5.0」を国連が提唱する「SDGs」と軌を一にするとして「Sociaty5.0 for SDGs」を掲げています。その中には、「農業分野における恩恵」として、ドローン、ロボット、AIなどなど農業分野での新しいテクノロジーの開発・推進も含まれています。
昨年、EUが2030年、わずか10年で有機農業の面積を25%にするなどの目標を打ち出し、関係者の間で衝撃が走りました。今年秋には「国連食料システムサミット」が予定され、環境と農業の両立などについて各国の考えを示す方針となっています。こうした場で日本の立場を示すためにも、野心的な目標を掲げる必要があるでしょう。
▼岐路に立つ従来の農家
実際に農業分野に参入しようとする動機は、一企業や一個人だけの力では成就しないこともまた明らかでしょう。農業分野は、すでに様々な補助金あるいは支援金の類で溢れているともいわれますが、それらの有効性のチェックを含めて、政府が先頭に立って、農林省に任せることなく、農業の様々な現状と厳しい将来を訴え、「魅力ある農業」を打ち出し、我が国の農業の存続と更なる発展のため、未来の地球や人類のためにも“旗振り役”となることが求められています。
政府の名誉のために、改めて近年の政府による農業政策の取り組みを整理しておきましょう。実は、農政を大きく変えたのも安倍政権でした。つまり、安倍内閣の経済政策「アベノミクス」によって、それまで競争原理の矢面に立たされることがなかった「医療」「教育」「農業」にも競争が奨励されました。農業分野においては、6次産業化をめざして雇用の創出を促進し、将来にわたって国の活力の源となり得るように舵を切り、「攻めの農林水産業」を打ち出しました。
具体的には、平成27年に策定された「食料・農業・農家基本計画」において、競争原理による「強い農業」を目指す「産業政策」と「活力ある農村」を目指す「地域政策」を基本方針の両輪として推進し、食料の安定的確保と自給率の向上と食料安全保障をめざしたのでした。そして、「『強い農業』と『美しく活力ある農村』」の創出」が当計画の狙いであることが明示されました。
菅内閣も安倍内閣の政策を踏襲しました。今後のコメ政策について業界からヒアリングする会合(2020年10月11日開催)に、従来のJA全中やJA全農の加え、日本農業法人協会の役員も出席したことが日経新聞で「『農業社長』と政治の距離」との見出しで話題になりました。それまでは農産物の流通をほとんど担っていて、主に「農家を守る」立場にあったJAグループに対して、「強い農業」を目指そうとする農業法人の声にも耳を傾ける必要があるとの判断だったと解説されました。
そして、令和2年の「食料・農業・農村基本計画」は、「~我が国の食の確保と活力ある農業・農村を次の世代につなぐために~」とのサブタイトルも掲げ、やや総花的になった感はありますが、依然として「産業政策」と「地域政策」の2本柱が掲げられました。
岸田内閣においても、前述しましたように、ややトーンダウンしたような印象は否めませんが、依然として、「競争」を奨励する立場と農家を「守る」立場の2本柱は維持され、「2極化」していると分析されています。
国や消費者の立場からすれば、農産物は安く、安定的に供給されることが大前提ですが、従来の農家の立場からすれば価格が高い方がいいと考えるのが当たり前で、そのためには、競争相手が増えるより減る方が“メリットが大きい”ことも理解できます。立場によって、そもそも目指す方向に矛盾を含んでいます。
これらから、従来の農家(農業従事者)は、補助金や支援金をいただきながら、JAグループに頼り、小規模・こだわり生産を続ける、つまり、昔ながらの「営農」を維持するか、大規模土地改良に賛同して雇用型の組織化を推進し、大量生産型にシフトするとともに、流通もJAを通さず、小売量販店とか外食産業とか輸出業者を直接相手にする農業にシフトするか、どちらを選ぶか岐路に立たされているといわれます。
かつてのアメリカがそうであったように、「弱い立場にある農家も切り捨てられない」との観点も加味しなければならないところに、農政の難しさがあるのでしょうが、逆にそのような政策の迷いが、ますます農業問題解決に向かって混迷を深めている一面もあるのです。
平成27年度の基本計画には、「成長産業化の土台となる生産基盤を強化していくことで、 多様化する国内外の需要に対応しつつ、創意工夫により良質な農産物を合理的な価格で安定的に供給することができる農業構造を実現」との文言があるように、2本柱のウエイトは、「強い農業」の方に傾いていたと読み取れます。政府がこのあたりの“踏ん切り”と“強い舵取り”ができるか否かに我が国の農業の未来がかかっていると私は考えます。
我が国の人口はやがて急減することから、将来の食料問題について楽観的な見方もあるようですが、人口問題よりも農業・食料問題の方が時期的に喫緊の課題であると考えます。その付近を含めて次回、第2編「農業・食料問題」を総括したいと思います。
(つづく)
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)