□はじめに
ウクライナ戦争が始まって以来、ロシア側(一部ウクライナ)の活発な情報戦(プロパガンダ)に接しているうちに、私自身はいつも「『戦場の霧』はなくなったのか」ということを考えていました。今回は、その話題に触れておきましょう。
とは言え、ほとんどの読者は「戦場の霧」とは何なのか不明であると思いますので、そこから説明しましょう。この言葉を最初に使ったのはクラウゼヴィッツで、名著『戦争論』に出てきます。
要約すると次の通りです。軍隊は、古来より作戦や戦闘における意思決定の的確性を期すため、そのベースとなる正確な情報を得ようとしてさまざまな手段を活用してきました。しかし、戦場において完全な情報を把握することは極めて稀(まれ)でした。なぜならば、地上戦においては複雑な地形のもと、自軍や敵軍の状況や行動を完全かつリアルタイムに把握することは技術的に困難だったからです。特に敵情については、何と言っても敵指揮官の“腹の中”まで完全に読み切るのは不可能なこともあって、非常に流動的で、常に情報の不完全性がつきまとい、指揮官を悩ませてきました。
この結果が、指揮官が充分な根拠と確信をもって意思決定することを妨げてきました。この状態をクラウゼヴィッツは「戦場の霧」と呼んだのです。
ウクライナ戦争のような現代戦は、軍事分野の情報革命が進展し、GPS、人工衛星、サイバー、レーダー、センサー、あるいは情報化指揮統制システム(C4ISR)などの技術の発展によって効率的に敵情を確認することが容易になり、「戦場の霧」を払拭することに貢献しているといわれます。その上、SNSなどの普及によって、戦場の実相がほぼリアルタイムで当事者のみならず全世界に同時発信される時代になり、あたかも「戦場の霧が晴れた」かのような錯覚に陥ります。
洋上であれば、オデーサ沖でロシアの軍艦「モスクワ」が撃沈された様子が一斉発信されたように、隠しようがありません。しかし、実態はどうでしょうか。地上戦の戦場の実相は、複雑な地形や市街地があり、地下という“見えない部分”もかなりあることから、自軍の生存者の正確な把握すらおぼつかない状態が続いています。その上、地上戦はいつの時代も攻防の繰り返しなど流動的です。敵の情報収集能力を回避し、逆用する技術も発達してきています。
このような実態から、現在のような技術をもってしても、「戦場の霧」を晴らすのは困難であり、「戦場の霧」の状態が“一昔前とは違っている”とは言えても、なくなったわけではないと考えるべきでしょう。ロシアも、たぶんウクライナ側も、そのような現状を知っているからこそ、自軍に有利になるようにさまざまなフェイクニュースを流し、その“霧”を活用しているものと推測されます。
いかにリアルな映像であっても、時間的・空間的な断片映像のみで、それが事実かフェイクかを見極めるのは困難で、「情報戦」とか「認知戦」といわれる分野に活用するのは依然として可能なのです。
ここにこそ、地上戦の本質があり、その特性は、かつても、今も、簡単には変わらないと考えるのが妥当なのでしょう。現在、将来の軍事技術は「知能化戦争」、つまりAIを活用してこの「戦場の霧」を晴らすことを含む“異次元の戦い”に焦点が行っているようですが、果して机上の結論のように「霧」が晴れるかどうか、私にはわかりません。
しかし、このような次元までを考慮に入れて、国家防衛のために新たな防衛力設計が求められていることは間違いなく、それを含む防衛機能を整備するとなると、「GDP2%が独り歩きしている」などと議論している場合ではないのです。なんせ我が国周辺には、国民の異論など全く気にすることもなく、為政者の考え方ひとつで核戦力を含むいかなる軍事力の保持も強化も最優先できる国が少なくとも2か国以上は存在するのです。
さて、ウクライナ戦争はいわゆる“消耗戦”の様相を呈してきました。ロシアに兵器や弾薬がどれほど備蓄されているか、あるいは緊急増産能力がどれほどあるのかは不明ですが、ウクライナ各地の惨状をみるに、開戦以来4か月弱、相当量の兵器や弾薬を消耗していることは間違いなく、兵士の犠牲と合わせ、ロシアの国家自体がかなり消耗していることでしょう。
ウクライナ情勢の次の転換点は、ロシアの通常兵器による継戦能力(組織的な戦いを継続できる能力)が“底をつきかけてきた時”であり、その時の選択肢は、一般には、(1)核戦力の使用も辞さない別なフェイズに進むか、(2)停戦に向かうか、でしょう。一方のウクライナは西側の継続的支援があることが強みで、局地的には劣勢になることはあっても、現在のように国土の一部が占領された状態では簡単には妥協しないでしょう。
これらから、最近、上記(1)のフェイズの可能性、その延長にある第3次世界大戦の危険性まで説く意見も出始めました。ウクライナが頑張れば頑張るほど、あるいは戦争が長期化してロシア国内に厭戦気分が拡大すればするほどそのリスクが増大するとも言えるので、状況は穏やかではありません。
さあどうしましょうか。それを回避するために、ロシアとウクライナ両国の当事者たちのみならず、人類の“叡智”が試される時が迫っているのかも知れません。我が国とて決して他人事ではないと考えますが、参議院選挙の論点などをみるに、与野党の政治家たちに“言いようのない寂しさ”を感ずるのは私だけでしょうか。
今の我が国には、「戦場の霧」ならず「政界の霧」があたり一面に深く立ち込めているような気がしてならないのです。
▼「スマート農業」のメリット・デメリット
今回は、「農業の魅力化」の2つめの“切り口”として「農業のスマート化」、つまり「スマート農業」の推進を取り上げます。
「スマート農業」とは、「ロボット技術や情報通信技術(ICT)を活用して、省力化・精密化や高品質生産などの実現を目指している新たな農業」のことをいいます。我が国の農業の現場では、依然として人手に頼る作業や熟練者でなければできない作業が多く、省力化、人手の確保、負担の軽減が重要な課題となっていることから、最近、特に脚光を浴びています。農業のDX(デジタル・トランスフォーメーション)ともいわれています。
「スマート農業」のメリットは次のように整理されています。まず第1は、「少ない人員での作業が可能なこと」です。農作業の各場面でロボットなどの機械が活用されれば、少ない人数でも多くの作業ができます。人手不足に悩まされがちな農家にとって、これは大きな利点であり、かつパワードスーツの使用で重労働の軽労化や除草ロボットなどで作業の自動化も図ることができます。細部は後述します。
第2は、「生産量のアップが期待できること」です。人が休んでいる時間にも作業を任せられるAIロボットのようなものを活用して少ない労力で作業量をアップする、あるいはデータの活用により作業精度も上げることなどは、それぞれ生産量のアップにつながります。その結果、今までより多くの作物を収穫でき、農家の収入が増え、国としても食料自給率アップが期待できます。
第3は、「環境への負荷が減ること」です。たとえば、データを活用して、ドローンによる農薬散布ができれば農薬の使用量を大幅に減らすことができます(農薬使用量が1/10まで減った例もあるようです)。さらに、AIを活用することで、液肥やCO2の余分な使用を抑制できるばかりか、高精度な需要予測なども可能となり、食品ロス削減にもつながることも期待されています。
第4は、「農業への新規参入がしやすくなること」です。農業には熟練の知識・技術が必要な場面が多々あって、経験がなければなかなか作業がうまくいかず、生産量アップにつなげられないとの問題がありました。しかし、「スマート農業」の先端技術のデータなどを活用すれば、農業を始めたばかりでも安定した成果を出すことや農業機械のアシスト装置を使用すれば経験の浅いオペレーターも高精度な農作業を実施することが可能となります。この結果、経験がなければ生産量につなげにくいといったイメージがなくなり、新しく農業を始めたい人が増えると考えられます。
他方、「スマート農業」にもさまざまなデメリットもあります。まず何といっても「導入のためにコストがかかる」ことでしょう。「スマート農業」にはロボットやシステムなどさまざまな機器の使用が不可欠で、始めるとなれば初期投資が必要になります。農家向けのロボットは工場などで使用しているものより安価な傾向にありますが、まだ気安く買えるほどリーズナブルではないでしょう。また、「スマート農業」はまだ始まって日が浅い分野であるため、どの程度の成果が出るのか、その費用対効果を見極めにくいことも課題でしょう。
第2には、「AIなどによるデータ管理は、データ以外のことに対処しきれない可能性がある」のもデメリットといえるでしょう。特に農業は、天候や気温など自然の動きに大きく左右されることから、データにない予期せぬ出来事が起こった場合、対処しきれなくなることが考えられるのです。
第3には、「スマート農業」の技術を駆使するためには、それを使える「スキルを身に付けなければならない」のもデメリットの1つと考えられます。高齢化が進む農家に対して、先進的で難しい技術を伝えるのは口で言うほど簡単ではありません。「スマート農業」のスキルを教えられる人材、それを活用できる人材の育成が必要不可欠です。
このように、「スマート農業」は、我が国の農業が抱えるさまざまな問題を解決する突破口となることが期待され、成功事例も多く、現在、さらなる開発も進められており、大きな可能性を秘めていることは間違いないでしょうが、これまでの農業従事者と最も縁遠かった技術の導入を余儀なくされ、また、そのための投資額も個人の農業者の限界を超える可能性もあることから、「農業の企業化」と「スマート農業」の導入は不離一体ととらえる必要があると考えます。
▼ここまで来ている「スマート農業」
すでに導入されている、あるいは農林省や大学やメーカーを中心に現在、検証中の「スマート農業」の技術をまとめて紹介しておきましょう。
まずは「自動走行トラクター」の導入です。数年前、『下町ロケット』のシリーズでも話題になりましたが、この導入効果は、限られた作期の中で、一人当たりの作業可能な面積を拡大し、大規模化が可能になることにあります。
我が国は、独自のGPSを保有するために、準天頂衛星「みちびき」の開発し、2018年11月以降、4機体制で運用を開始しています。この「みちびき」の信号とGPSなど他の信号と合成して利用することで安定した高精度測位を行なうことが可能となっており、その誤差は数センチメートルといわれています。
このような技術を「自動運転トラクター」に利用することにより、使用者が搭乗した状態での自動操縦(レベル1)や有人監視下での無人走行(レベル2)を経て、ほ場間の移動を含む遠隔監視下の無人走行(レベル3)まで開発が進み、まもなく市販されるようです。
ここでいう「ほ場」とは一般には田畑の農地を指しますが、多くの農地は区画が小さく、その形も不揃いです。その障害を克服する技術は、ハードルが一段高いようで、この点からも農地の区画整形が要求されます。「自動運転トラクター」と同様の技術を活用した「自動運転田植機」や「自動運転アシスト機能付コンバイン」などもすでに販売されており、農作業の自動運転化はかなり進んでいるといえます。
次に、「農業用アシストスーツ」もすでに実用化されています。これによって、中腰姿勢での作業時のおける腰の負担を軽減し、高齢者や女性の就労支援にもつながっています。同様の目的で、「リモコン式自走草刈機」も実用化され、人が入れない場所とか傾斜地のような危険な場所での除草作業をリモコン操作によって実施することが可能となっています。
また、「自律走行無人草刈機」、つまり負担の大きい草刈りの無人化という画期的な技術も開発されています。これは、天候・場所・時間を問わず、草刈り・帰還・ 充電すべてを自動で行なうため、規模拡大の障害となる雑草管理を自動化し、労働力不足の解消につながっています。
収穫のため作業は農作業の中でも特に難しい作業ですが、すでに実用化されている「トマト収穫ロボット」は、収穫適期のトマトを認識し、高速・高精度で収穫することで、収量の5割以上をロボットで収穫できるという“すぐれもの”のようです。また「キャベツ自動収穫機」は、AIを用いてキャベツを認識して自動収穫し、コンテナへのキャベツ収納やコンテナ交換も自動で行ない、収穫・運搬作業にかかる時間と人手を大幅に縮減することができるようです。
農業従事者は、長年の経験によってようやく熟練農業者に成長するのが一般的ですが、ICTやロボットを活用することによって、熟練農業者の技術や判断を継承しようとする試みも開発されています。
一例を挙げれば、ぶどうなどの房づくり、摘粒、収穫時期の判断といった熟練農業者の「匠」の技を、農業者が装着するスマートグラスで撮影し、データ化、AI解析やローカル5Gの活用により、新規就農者が装着するスマートグラスに作業のポイントを投影しようするものや早期習得を可能とする学習支援システムの実証研究が行なわれています。
長くなりますので、この続きは次回にしましょう。
(つづく)
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)