□はじめに(またしても、ウクライナ情勢)
前回約束しましたように、今回は、ウクライナ問題の根本的要因となっているNATOとロシア(ソ連)の対立について、少し触れてみることにします。
NATOの発足は、1948年、ソ連によるベルリン封鎖などの敵対行為に対して、西欧諸国が集団安全保障と集団防衛の仕組みを作ったことに始まります。当初は、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの5か国が署名し、その後、英仏がアメリカに防衛構想を打診、1949年にアメリカも参加し、12か国でもって署名して「北大西洋条約機構(NATO)」が発足します。よく「NATOはアメリカが作った」といわれますが、それは事実と違います。
当然、ソ連は「NATOは覇権主義を目指す同盟だ」と大反発しますが、NATO側は、「あくまで国連憲章が認める集団的自衛権の範囲以内で憲章違反でない」と主張しましたので、ソ連は東欧の衛星国と一緒になって「ワルシャワ条約機構」を結成し、東西の冷戦構造が出来上がります。
その後、デタント(緊張緩和)を迎え、ソ連との共存を試みたり、フランスのNATO離脱などの紆余曲折もありましたが、NATOは、抑止力としての軍事力の必要性を訴え続け、安易な軍縮に走ることはありませんでした。やがて、ソ連のアフガニスタン侵攻によって、デタント時代は終了し、再び、東西対立が再燃します。
そして、1980年代、アメリカにレーガン大統領が登場します。レーガンは、有名なSDI構想を大々的に展開するなど、ソ連に軍拡競争を仕掛けることによってソ連を追い込むことに成功します。その結果、ソ連は、ペレストロイカを余儀なくされ、ワルシャワ条約を解体、東欧を解放し、ソ連邦が崩壊することによって冷戦は終焉します。
冷戦終焉後、NATOは、自由や人権尊重の価値観に基づく組織として、その価値観を持つ国は、旧ワルシャワ条約の国であっても加盟を承認します。
これに対して、ソ連の後継国を主張するロシアは、「NATOは東方拡大しないと約束したはずだ」と1990年にベーカー米国国務長官がゴルバチョフに語ったといわれる約束を引用して大反発しますが、正式な合意として双方が署名する外交文書にはこの内容は存在しません。北大西洋条約第10条にも「加盟国の全員一致」の合意があれば加盟できることになっています。日本の有名なマスコミ人にもロシア側に立って堂々と論陣を張る人がおりますが、それは誤解でしょう。
しかし、もっと根本的な問題は、冷戦終焉後のNATOのリーダーたちが、当時のベストセラー『歴史の終わり』の著者フランシス・フクヤマの「人間の政治の最終形として西欧自由・民主主義が普遍化していくのを目の当たりにしている」との考えに代表されるように、冷戦の勝利に酔いしれていたことです(当時、私は「甘いな」をという印象を持ったことを今でもよく覚えています)。
その結果、ロシアという国(民族)は、本来、“自分たちの勢力圏でしか国際政治を考えない”覇権を目指す国家であり、自由や人権をめぐる価値観や法治主義のような概念を理解することが不可能な国家であること、そして相手側よりはるかに上回る「力」をもたないと落ち着かない“過剰防衛意識”を保有して国家であることなど、冷戦が終焉したといっても、民族の“血”の方が政治体制やイデオロギーなどよりはるかに優先するロシア(人)の本質を見抜けなかったのです。
そして、勢いのままのNATOの東方拡大は、上記のようなロシアの猜疑心をより強め、いつか再び暴発する可能性があることまでは思いが至らなかったのでした。そこに、ソ連邦時代にKGBで勤務し、冷戦で敗退したことを人一倍屈辱に感じ、なおかつ人の数倍も猜疑心の強いプーチン大統領が誕生します。
プーチンは、NATOの拡大は百歩譲っても東欧諸国やバルト3国までで、ロシア帝国以来の固有のテレトリー(兄弟国と明言)であり、地政学的にもNATOとの緩衝地帯の地位にあるベラルーシやウクライナを手放すはずがありません。
ましてウクライナは、ロシアの伝統的な国策である「南下政策」の入り口に所在し、その南端のクリミヤ半島は血にまみれた戦いの歴史を何度も繰り返してきました。ロシアの不法占領は、その延長にあり、まさに「核心的利益」というべき地域でしょう。
2008年、ウクライナはNATOの加盟申請を行ないましたが、ドイツやフランスの反対で実現しませんでした。「ミンスク合意」(2014年)の生みの親といわれるメルケルは、かつてヒトラーが蹂躙したウクライナの地政学やロシアの意図を理解していたというべきでしょう。
個人的には、改めて、「抑止力」という概念が内在する限界のようなものに思いが至ります。「抑止力」が過剰に効きすぎると対象国の警戒感や猜疑心が異常に拡大し、抑止の“効き目”を失ってしまうという“現実”を私たちは今回、知ることとなりました。相手側の立場も考えた“ほどよいバランス”が重要なのです。
さて、核保有国同士の対立は“チキンレース”だといわれます。互いに向かって突っ走る車であり、衝突を回避するため、先に動揺した方が負けます。冷戦終焉の立役者となったレーガンは、さまざまな手法を用いて、「レーガンは正気でない」ことをソ連に思い込ませることに成功しました。
今回、プーチンはこのレーガンの手法を学んだのでしょう。侵攻前から巧みな「ハイブリット戦」を展開し(前回紹介)、「プーチンは正気でない」ことをバイデン大統領はじめ、NATO諸国のリーダーたちに思い込ませることに成功しました。
巷で「もしトランプ大統領だったとウクライナ侵攻は起こらなかった」とよく話題になりますが、トランプとプーチンは、何か“常人には理解できない感覚の保有者”として共通点がありますし、その“交渉術”の巧みさもあって、「事前に何らかの手を打ったのではないか」とどうしても考えてしまうのは私だけではないと思います。いつの時代も「国のリーダーの良し悪しで国家の命運は決まる」ということを歴史は何度も教えているのですが、残念です。
最終決着までにはまだまだ予想もできない紆余曲折がたくさんあることでしょうが、このたびのウクライナ侵攻を「対岸の火事」として我が国が学ぶこと、活かすことはたくさんありますし、我が国もロシアの隣国であり、歴史的には2度(ノモンハン事件を加えれば3度)の戦争を経験しています。ウクライナ戦争に対する我が国の専門家や政治家などの「反応」については、(寂しさが増すばかりですが)次回取り上げましょう。今回も「はじめに」が長くなりました。
▼我が国の食料安全保障政策の概要
今回のテーマは「農業従事者の最新状況」ですが、前回、先送りした「我が国の食料安全保障政策の概要」について、まず触れておきましょう。
長い間、私も「食料安全保障政策」は農林水産省の所管と思っていましたが、外務省も重要な一翼を担っています。当然ですが、その役割分担は、農水省が総合的な食料の安定供給の確保・向上政策を、外務省が世界の情勢の変化に重点を置き、我が国の食料安全保障のために国際社会の取り組みなどを重点に行なっているようです。
農水省の食料安全保障政策は、「平時からの安定供給の確保・向上」と「不測事態の対応」から成り立っています。
「平時からの安定供給の確保・向上」のために、さらに3本柱を掲げていますが、その第1「国内の農業生産の拡大」を推進するために、「目標自給率」を明示しています。その細部は、基準年度を平成30年度、目標年度を令和12年度と指定して、カロリーベースでは37%から45%に、生産額ベースでは66%から75%にそれぞれの目標を設定し、そのために必要な施策を推進しています。
第2「安定期な輸入」を推進するために、輸入相手国との良好な関係の維持・強化や関係情報の収集、船舶の大型化に対応した流通基盤の強化などを通じて輸入の安定化や多角化を図ることを方針に関連施策を実施中です。
そして、第3に「備蓄の活用」を掲げ、たとえば、米については政府備蓄米を100万トン程度、小麦については外国産食料用小麦を2.3か月分、飼料穀物については、トウモロコシなど100万トン程度の民間備蓄を推進していることに加え、家庭内備蓄として最低でも3日分、できれば1週間分程度の食料品の備蓄を奨励しています。
大きな柱の2番目「不測事態の対応」については、「凶作や輸入の途絶等の不測の要因により国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、またはひっ迫する恐れがある場合の対応」を規定しています。
そのための「緊急事態食料安全保障指針」としては、緊急時のレベルの類型と対策の概要、体制整備、各レベルの具体的対策を詳細に規定しています。(細部は省略しますが、ご興味のある方は農水省のホームページなどをご参照下さい)。
また、外務省は、世界の食料安全保障の現状から、食料不安を引き出す要因として次の7つを挙げています。つまり、①「世界人口の増加に伴う食料需要増大」、②「新興国の経済発展による食生活の変化」、③「バイオ燃料向け需要の増加」、④「政情不安による紛争の勃発、長期化」、⑤「気候変動、異常気象の頻発」、⑥「越境性の病害虫・疫病の蔓延」、⑦「新型コロナウイルスのような新たな感染症」「グローバルな食料サプライチェーンの脆弱性」です。
これらに対処するために、国際社会とともに「SDGs」の推進の必要性を訴えつつ、「食料安全保障のための国際社会の取り組み」として、①持続可能な食料システムの構築の促進、②安定的な農業市場・貿易システムの形成、③脆弱な人々に対する支援・セーフティネット、④気候変動や自然災害などの緊急事態に備えた体制づくりなどを掲げています。
両省とも、いかにも官僚らしい体裁の政策を掲げ、素人には理解しがたい表現もありますが、これらの食料安全保障政策がどれほど功を奏し、また今後とも有効か否かについては不明です。
特に、「安定期な輸入」が今後も引き続き維持されるか、あるいは、「目標自給率45%」(令和12年度)が達成可能かどうかなどについては、現時点では全く不明です。しかし、すでに取り上げたように、ウクライナ情勢など国際情勢の激変や農業従事者が年々減少する現状から厳しさが増すばかりで、それぞれの目標が“絵に描いた餅”に終わらないよう祈るばかりです。
▼「新規就農者」の内訳
さて本題です。農業従事者が年々減る一方、高齢化が進み、今後ますます減るだろうということについては触れましたが、もう少し細部ついて現状を見てみたいと思います。
まず「新規就農者」については、令和元年には5万6千人を数えますが、毎年5万人から6万人ぐらいで推移しています。その内訳は3形態に区分されます。まず「新規自営農業就農者」(自営農業のみに従事、または主に自営農業に従事するようになった人)です。実家を継いで新たに農業を始める人がこれに該当しますが、小規模な個人経営の農家は離農するケースが増えているため、今後も減少が予想されます。令和元年には4万3千人を数えましたが、49歳以下は9.2千人しかおりません。
次に、「新規雇用従事者」(法人等の従業員として、年間7か月以上農業に従事している人)で、農業法人に就職する人がこれに該当します。個人経営の農家が法人化したり、一般の企業が農業参入したりと、農業経営体全体は減少するなか、農業法人数は増加しています。それに伴い、雇用就農者の数は増加しており、今後もその需要が見込まれます。令和元年には9.9千人、49歳以下は7.1千人です。
最後に、「新規参入者」(独自に土地・資金等を調達し、責任者として新たに農業経営を開始した人)です。新規自営農業就農者のように家業を継ぐのではなく、農業で起業する人がこれに当たります。令和元年には3.2千人おり、49歳以下が2.3千人でした。
「新規就農者」にはもうひとつ大きな問題があります。せっかく農業を目指してもその約35%が離農することです。なかなか定着しないのです。このような現実から、2019年3月22日、総務省行政評価局から、「農業労働力の確保に関する行政評価・監視─新規就農の促進対策を中心として─」として農水省に次のような改善勧告がありました。
①新規参入希望者への農業機械の取扱いや農業経営に関する研修も含めた研修内容の充実、②普及及び指導センターが新規参入者に重点的な指導等を行うよう必要な助言等の実施、③新規雇用就農者の離農理由の的確な把握及び関係者への情報提供、などです。これらを受け、農水省は勧告に沿った対応を検討したいと応じていました。
これらもあって、高齢化に伴う農業従事者の減少傾向は喫緊の課題との認識がある農水省は、「地域の活力創造プラン」と題した施策を用意し、2023年までに「40歳代以下の農業従事者を40万人に引き上げる」目標を掲げ、農業に足を踏み入れようとする人々への必要な技術習得の研修や、経営の不安定な新規就農者への補助金などによる支援などの対策を講じることを明示しています。
特に、研修中の2年間に150万円支援する「農業次世代人材投資事業」、就農する青年を支援するために5年間で150万円支援する「青年等就農計画制度」のほか、農機具や施設の導入に際して無利子で支援する経営開始型の施策もあります。
農業は、特に最初の数年は利益が上がらないことが少なくありません。資金援助をしてもらえる期間内に農業や経営に関するノウハウを身につけて事業を軌道に乗せることが就農成功の近道なのですが、その前に離農してしまう若者が後を絶たないのが現状のようです。
▼若者の農業離れの要因
「あぐりナビ」という日本最大級の農業求人数の情報量を誇る求人サイトが「深刻な若者の農業離れ」の現状から、全国の男女(年齢不問)100人にアンケート調査しました。
まず、「仕事として農業をやりたいと思うか」の問いに対して、74人が「思わない」と答え、「思う」と答えたのは26人のみでした。その理由は、「1年365日、休みがない」「天候に左右される」「安定した収入の確保ができるか心配」「親などが専業農家で苦労している姿を見てきた」などに加え、新規就農へのハードル、つまり初期費用などもその理由になっているようです。
たしかに、農業と他産業の1日当たりの所得を比較しますと、製造業が1万6千円に対して、農業はその約3分の1の5930円(平成26年調査)にとどまっていますので、収入の安定確保は大事な要素に違いありません。
一方、「仕事として農業をやりたいと思う」の理由として、「自然の中で、やりがいを感じることができる」「テレビで知ったり、知人などをみてかっこいいと思った」「実家が農家」「家庭菜園などの経験から興味を持った」などが挙げられています。
これらを子細に分析すると、若者が農業を目指すことを躊躇する障害となっている要因を取り除き、若者を惹きつける農業の魅力化をさらに推進するなど、農業従事者離れを食い止めるためにヒントが隠されていると考えますが、詳しくはのちほど取り上げることにします。
現在、農水省が推奨し、一定の効果を上げている施策として「農業女子プロジェクト」があります。これについては、次回、取り上げましょう。(つづく)
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)