我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(88)『強靭な国家』を造る(25)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その15)

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我が国の未来を見通す(88)『強靭な国家』を造る(25)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その15)

□はじめに──「ソフト・パワー」の役割

前回の続きです。前回提示した方程式からわかりますように、私は、これまでの「国力」の定義に倣い、「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」を“足し算”ではなく、“掛け算”で掛け合わせて定義しました。実は、これがミソでして、“掛け算”ですから、ハードかソフト、どちらかのパワーがゼロになると「国力」はゼロになってしまうことを意味します。

国家である以上、「ハード・パワー」を構成する諸要素がゼロになる可能性はまずないでしょうが、仮に、国際社会との比較において「経済力」や「軍事力」や「科学技術」などがある程度のランクに位置づけられても、「国家戦略」とか「国家意思」などの「ソフト・パワー」がなきに等しければ、“「国力」はゼロになる”、あるいは“ゼロと見なされる”ということを意味するのです。

戦後の高度成長期に、「経済力」が世界第2位にまで上り詰めて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛され、そのことが日本のアイデンティティのようになっている時代がありましたが、国際社会に影響を及ぼす「国力」という観点で立てば、特段の役割を果たすことはできなかったと言わざるを得ないでしょう。

その典型的な例が、湾岸戦争の際に多国籍軍に135億ドル(約1兆7500億円)もの巨額の財政支援を実施しながらも、国際社会から何ら評価されず、「小切手外交」と批判さえ受けたことでした。

その原因は、「経済力」を主にする「ハード・パワー」を活かそうとする「ソフト・パワー」については、終戦直後の「吉田ドクトリン」からいささかも脱皮できないまま、「国家戦略」はなきに等しく、「国家意思」も内向きのままだったことにあると考えます。

言葉を代えれば、“憲法上の制約”を逆用して、その範囲に留まるしか選択肢がなかったのでした。その意味ではありがたい憲法なのですが、憲法前文でいう「名誉ある地位を占めたい」を実現するため、憲法自体がその障壁になったと言えなくもないのです。

戦後からかなり時間が経ち、「時代が変わっている」ことを認識しながらも、「国のあり様」などについて議論することなくそのまま放置した結果でした。我が国は、その後、慌てて憲法の枠内で「国際平和協力法」を制定し、自衛隊を(海外派兵ではなく)海外派遣しました(これに関しては、個人的にも言いたいことが山ほどありますが、省略しましょう)。

国を挙げての「国家戦略」のようなものがなかった弊害は他にもあるでしょう。高度成長期の日米貿易摩擦などについてはほとんど反論できないまま、アメリカからも“いいように”叩かれましたし、その後の「グローバリズム」についても受容することを余儀なくされ、我が国が弱体化するきっかけにもなってしまいました。こうして、GDPは中国に抜かれて第3位に転落しました。

さて、もっと歴史をさかのぼれば、「日露戦争」の勝利を得て、1等国に仲間入りをした後の日本も同様だったと考えます。「帝国国防方針」のようなものは策定しましたが、国を挙げての「国家戦略」、つまり、国家意思として“日英同盟のもと、一等国となった我が国の向かうべき方向”を明確に統一できませんでした。

大正時代になって、明治維新以降、“ジェネラリスト”として重要な役割を果していた元老たちが次々に他界してしまいました。これらもあって、特に台頭するアメリカの本質や野心を見抜くことができないまま、第1次世界大戦においては“その場しのぎ”の対応に終始し、大戦後、連合国の仲間入りはしたものの、世界恐慌などもあってやがて大東亜戦争に至る「国の舵取り」をせざるを得ませんでした。

私は、近代史を学んだ結果として、大正時代に「大日本帝国憲法」の改正をはじめとする国の「統治制度」を改善しなかったことが、「激動の昭和」の道を歩まざるを得なかった最大の原因と考えています。

まとめれば、今後、過去の失敗を二度と繰り返さないため、つまり「歴史は繰り返す」にならないように、「ソフト・パワー」の重要性をよく認識した上で、国を挙げての「国家戦略」を創り上げ、「国家意思」を明確にすることが必要不可欠であると思うのです。

特に今は、「ハード・パワー」がいずれもほぼ下降期にあることから、将来に向けた「国力」の維持、可能ならば増強に向け、さらに将来の国際社会に対して必要な役割を行使するための「国家戦略」や「国家意思」を明らかにして、国家として“向かうべき方向”を定めるのは喫緊の課題であると考えます。

話は変わりますが、パレスチナで再び大規模な軍事衝突が発生しました。2千年来の宗教対立がそう簡単に収まるはずがないと常日頃から予想はしていましたが、それでなくとも「ウクライナ戦争」で喧騒な国際社会がますます“混迷を深める”ことが懸念されます。

その延長で、我が国が“対岸の火事”として眺め続けることができるか否か、しばらくの間、パレスチナの状況の推移のみならず、広く国際社会の動きまで、目を凝らして注目する必要があるようです。次回、触れることにしましょう。

▼「国家戦略」とは何か?
 
さて前置きはそのぐらいにして、「ソフト・パワー」の中核たる「国家戦略」を取り上げましょう。まずは“「国家戦略」とは何か?”ということです。私も自衛官であったという職業柄、「○○戦略」と名のついた書籍を読みこなした数は数え切れません。また、「△△戦略」と名乗ってなくとも、たとえばクラウゼヴィッツの『戦争論』とか『孫子』のように、その実態は戦略論に近いものまでたくさん読みこなしてきました。

しかし、そのほとんどは、「軍事戦略」とか「安全保障戦略」などについて書かれたものが多く、これから取りあげようとする「国家戦略」そのものを取り上げている書籍は意外に少ないし、あまり読む機会もありませんでした。

それでは、「戦略」とは何か、から掘り下げていきますとその定義はなかなか難しいものがあります。『現代戦略論』(高橋杉雄著、並木書房)によれば、大まかに合意できる形の定義として、「戦略とは、『目的』『方法』『手段』の組み合わせを示すもの」とし、「戦略を策定する」とは「終着点である『目的』と、そこに至る道筋としての『方法』と『手段』の双方を含んだ全体としてロードマップを作り上げていくことである」としています。「戦略」に含まれるさまざまな要素をはぎ取ったコアの部分の定義として合点が行きます。

次に「国家戦略」です。『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・ストラテジー」研究会著)は、「日本のグランド・ストラテジー(大戦略)」、つまり「国家戦略」そのものをテーマにした数少ない書籍の一冊ですが、「国家戦略」を「当該国家の最重要の目的を達成しようとする政策の体系」と定義し、国家にとって最重要な目的とは、「安全と富」ととらえています。

この定義からすると、「国家安全保障戦略」のようなものは「安全」を重視した「国家戦略」であり、「経済安全保障戦略」のようなものを「富」を重視した「国家戦略」と解釈することができるでしょう。なかには、船橋洋一著の『国民安全保障国家論』のように、「国家」というより「国民」を主体に「安全保障論」を展開している書籍もあって、これはこれで興味をそそられます。

また、瀧本哲史著『戦略がすべて』のように、「戦略」をビジネス市場、教育現場、国家事業、芸能界、ネット社会などあらゆる分野に適用できる「ツール」として扱っている書籍もあり、このような視点もよく理解できます。

さて、「国家戦略」の最重要な目的が「安全と富」ととらえると、この両方をめざした我が国の「国家戦略」は、(明治初期にはこの言葉自体もなかったのですが)明治維新の「富国強兵」「殖産興業」をスローガンとする“戦略的な取り組み”のみだったことがわかります。

本スローガンは、当時の西洋文明至上主義の中で、我が国が植民地化されず、国際社会で競争できる国家になることを目指したものであり、最初に提唱したのは、薩摩藩主・島津斉彬だったといわれます。やがて、本取り組みは明治政府に引き継がれ、全国的なスケールで実施されることになりました。

その後の「国家戦略」を振り返りますと、戦前の「帝国国防方針」の類は、その名称からしても「軍事」つまり「安全」に偏り過ぎましたし、戦後の「吉田ドクトリン」は、「安全」をアメリカにほぼ“丸投げ”しての「経済重視」、つまり「富」に偏り過ぎたことは明らかです。

「国家戦略」は、国家のアイデンティティの表現でもあり、それを決めていくものであるとあるともいわれます。何を国家の至上目的とするか、どのような手段でそれを達成するかについては、その時代時代の国家の性格を左右し、性格そのものを決定づけていくものということもできるでしょう。

一方、国家の至上目的を「安全と富」と定義しても、その「安全と富」を構成する要素はより複雑化し、国内の諸事情のみならず、国際情勢や周辺国との関係などによって、その時代時代によって重視すべき要素も変わってくるのは必然です。

本メルマガでは「国力」増強に焦点を置き、「国力」を構成する「ソフト・パワー」の要素をあぶりだしましたが、それらを子細に分析すると、「国力」の維持または増強する究極的な目的は、「安全と富」に集約できるとも言えるでしょう。

つまり、相互に関連している「ハード・パワー」の各構成要素を総合的に分析し、バランスを取りつつ優先順位を定め、今後の“向かうべき方向”を定めることが現在、求められている「国家戦略」であると考えます。

▼現時点の「国家戦略」をいかに創り上げるか
 
一般に“日本人は「戦略的思考」が苦手”と言われます。その理由について、『日本戦略論』(鎌田徹著)は、島国、稲作民族、刀狩りの結果としての軍事忌避などの「地政学・歴史的要因」、そして大東亜戦争の封印、共産主義者からのブラフ、憲法による軍事力の封印など「戦後特有の政治環境要因」を挙げています。

確かに、日本の場合、覇権国のアメリカとか、将来目標として覇権国を目指している中国などとは違った「国家戦略」にならざるを得ず、国際的な大局観とか大胆さには制約がかかるでしょうが、その分、覇権国にはない“緻密さ”とか、立つ位置や役割分析などの“深掘り”も必要になってくるでしょう。だからと言って、放置する理由にしてはいけないのですが、その策定自体がとても難しいことは間違いなさそうです。

余談ですが、鎌田氏は元自衛官であり、私も現役時代から今日まで交流があります。505ページに及ぶ大作は、“戦略を知っている自衛官ならではの鋭い戦略研究”として、「もっと評価されていい」といつも思っていました。

このように、我が国が“元々苦手な”「国家戦略」をいかに創り上げるか、について子細に言及すると、書籍にして1冊以上のボリュームになる可能性がありますので、本メルマガでは、“ストーリー建て”して要点のみを取り上げてみたいと考えます。

幸い、『日本の大戦略』という絶好の参考書があります。本書は、5人の著名な学者・研究員によって約4年間の研究を経て、2012年に発行されたものです。その動機は、我が国が「失われた20年」の最中、その上、東日本大大震災もあって衰退傾向の中で、国際社会における“日本の存在感がかすみがち”なことを懸念し、「世界の中の日本」という位置づけで、それも短期的な動向よりも長期的な視点に立って、当時の安全保障はもちろん、財政、税制、産業構造、福祉・雇用などまで“大きな絵を描く必要がある”ということにあったようです。

実によく分析・整理され、「国家戦略」を策定する手法がほぼ余すところなく記載されていると考えます。このような良書が世に出されても、その後の政界には、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」とか「アベノミクス」のように部分的には本書の提案主旨と同様の政策もありましたが、「国家戦略」そのものについては大上段にその必要性を訴え、国家を挙げてその策定に取り組むとの試みはなされないまま時が過ぎてしまいました。

この10年の間に、すでに紹介しました少子高齢化、食料やエネルギー自給率の低下などがさらに進み、当時は予想だにしなかった「ウクライナ戦争」なども発生し、日本を取り巻く内外情勢ははるかに厳しさを増している現状からすると、私などは、「10年前に取り組んでおれば」との悔恨の念が沸いてきます。

しかし、このまま放置すると、後世に残す「資産」すら失いかねないとの危機意識をもって、主に本書を参考にしながら、“意を決して”、いかにして「国家戦略」を創り上げていくかについてその手法を考察してみたいと考えます。

一歩踏み出すと、途中で切ることが難しくなりそうですので、今回はここまでにしておきます。

(つづく)


宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)