我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(90)『強靭な国家』を造る(27)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)

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我が国の未来を見通す(90)『強靭な国家』を造る(27)「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)

□はじめに

 パレスチナ情勢については、10月22日、日本を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイスラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエルの本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅れているようです。

イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でもあるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一時停戦が検討されなくてはならない」との発言でした。

一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレスチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に達しているように見えます。イランを含むアラブ諸国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板ではないようなので、今後も、状況は刻々変わってくることから、安易な予測は禁物でしょう。

その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えない方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。

また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道もあります。国連事務総長のような発言もイスラエルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果となって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けなくなる”ことが懸念されます。

数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広がる巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退する結果になったのでした。

「クチトンネル」は総延長約250キロといわれていましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されている地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注目しています。

ところで、今回のG6声明から外された我が国は、文字通り“孤立国”になってしまいました。23日の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違ってはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞こえるのは私だけでしょうか。

▼「国家戦略」をだれが作るか

いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるのか、について一案を提言したいと考えます。

戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義などといって昭和の軍人たちにその責任を負わせることのみを追求している歴史家たちには到底信じられないことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミックで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。

その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけではなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のすべてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈し、当時、欧州において身をもってその体験をした永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていました(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されました)。

この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたのです。

設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳ではなく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張るものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権を委任しました。

秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たちを集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもって様々な角度から研究に没頭したのです。

研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた開戦に至るシミュレーションについては、当時、東條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、その研究成果は、昭和16年11月15日に開催された大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定されたのでした。

私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行しておれば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えていますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってしまいました。その原因も分かっていますが、ここでは省略しましょう。

ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろうかということです。

私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダー格になっていただくことを拒むものではありません。

一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家などでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出すのは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることができる優秀な人たちがたくさんおられると確信します。

なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)では、「戦略国家になるための人づくり」を提唱していますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念ながら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えます。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を最大限に活用するしかないと思うのです。

次いでながらもう少し補足しておきましょう。前にも引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を経験した結果として、「自分たちでみんなを守ることができない社会は生き残れない」「自分の国を自分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹介されています。

著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識していると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”のあり様(形)」であることが理解できます。

私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著者のような立場の人が「ようやくここに気がついてくれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほしいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気をもって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずることを切に願っております。

繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対する質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと思うのですが・・・。

▼「国家戦略」の指針の一案

さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚しつつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提示しなければならないとの責任感にもかられます。

しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いかにまとめ上げるか、途方にくれます。

またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私の一存で本書を修正してあります。

まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供していることに対して改めて敬意を表したいと思います。

その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決める」としていますが、当時より今の方が“歴史的大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家としても国民としても求められていると考えます。

本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目指して国家アイデンティティを再構築する」ことを提唱していますが、全く同意するものです。

「我が国がどのような未来を構築するか」、あるいは「どこに向かっていくか」を明らかにするという点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向として「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。

私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと考えていますので、具体的な指針の中には、「『国力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」旨の文言も挿入されるべきと考えます。

第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展開する」ことです。

まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でしょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求められており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コモンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化する必要があるでしょう。

実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されました。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一致していると考えます。

しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独自の核保有の議論を推進すべきと考えます。

また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」については、将来にわたって我が国迫って来る可能性がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は「ハイブリッド戦」であることは間違いないとしても、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると考えます。

第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経済社会システムを構築する」ことを本書は紹介しています。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべきで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国家戦略」を策定していることを理解する必要があるのです。

何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のための外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”を即刻是正する必要があります。そのための法律改正などは急務でしょう。

その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国として新しい「繁栄の形」をどのように具体化するかが焦点となると考えます。その中には、国家を次世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」を抱くことができるような施策を含むべきことは申すまでもありません。

とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費などが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラマキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバランスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」も必要となることでしょう。

第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している「富」の分野においても、我が国は、将来にわたって「国家として存立するための対外構想」には高い優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。

「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存はありません。

前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づいて行動し、他国や他のアクターとも協力していく”という「自律」の重要性を理解した上で、「日米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれたインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっかり議論する必要があるでしょう。

第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ための議論を推進することです。本書では、そのために「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成の前提となるインテリジェンス機能を強化する」「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識を高める」として、国民の参加意識を高めるために、NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間組織の役割も重要であると結んでいます。

「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介しましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行しようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」がそこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定できないでしょう。

紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章で「日本には『国家安全保障』という『国の形』がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んできた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調しています。

私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないような“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けることは困難であることは明白でしょう。

「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶことでしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込んで議論してほしいと願っています。

「国の形」についてはのちほど再び触れることにして、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」を取り上げます。

(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)