我が国の未来を見通す

メルマガ軍事情報の連載「我が国の未来を見通す」の記事アーカイブです。著者は、元陸将・元東北方面総監の宗像久男さん。我が国の現状や未来について、 これから先、数十年数百年にわたって我が国に立ちふさがるであろう3つの大きな課題を今から認識し、 考え、後輩たちに残す負債を少しでも小さくするよう考えてゆきます。

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我が国の未来を見通す(59)「気候変動・エネルギー問題」(24) 再生可能エネルギーの課題(その2)

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我が国の未来を見通す(59)「気候変動・エネルギー問題」(24) <strong>再生可能エネルギーの課題(その2)</strong>

□はじめに

 前回のメルマガ冒頭で、エンリケさんが「時を追うごとに、人間の全てが小さくなってきた感を持つのは私だけでしょうか? 国内外問いません・・・人間としての常識が『ナニカ』に人類はまたもや支配されているのかも知れません」という紹介をされました。

実は、この紹介文を読ませていただき、一瞬、ドキッとしました。永い間、私自身が全く同じことを思いはじめ、人間が小さく(つまらなく)なった原因はどこにあるのか、その「ナニカ」とは何であろうか、そしてそのような状態から脱するためにはどうすればよいのだろうかなどと考え続け、それを問い求めるための探究も同時並行的に行なってきたからです。

その探求は、たぶん、宗教家とか心理学者などの領域なのかも知れません。40歳代の頃だったと思います。「自衛官として職務を全うする以上、いつ戦死するかもわからない。そうなった場合、自分は何のために生まれのだろうか」という、いわば「死生観」のようなものを身に着けることを思い立ち、宗教書とか哲学などを読み漁ったことがありました。

この経験についてははじめてカミングアウトするのですが、実はこの世界の奥の深さは半端でないこと、現世はおろか、過去世、そしていつの日か“未来の生まれ変わり”まで考える必要があると、それまでの自分の常識では乗り越えがたい“壁”にぶつかったのでした。

これ以上は、本メルマガの本旨から外れますので止めますが、最近、あることがきっかけとなって、ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読み始めています。この書籍、タイトルからして奇妙なのですが、原書は1941年に出版されたもので、フロムの問題意識は、「なぜドイツ民族がヒトラーを選んだか」にありました。しかし、読み進めていくうちに、現在の情報過多の時代、つまり世の中には「民主主義」とか「自由」を謳歌している人々がたくさんいることを分かっていても、権威主義国家の国民として、いわば独裁者による統治を受け入れ、「不自由」さを許容する人々が多いのはなぜか、との疑問に対するヒントを与えてくれるような気がするのです。

一昔前まで、人類は、民族や宗派によって、また実際には個人によって多少の差異はあったとは思いますが、いわば、「人類の叡智を超える存在として『神』に対する畏敬の念」のような価値観を共有していたと考えます。

それがいつの間にか、民主主義とか人権とか平等とか正義などが最高の価値として優先され、それらがまた、人間の「思い上がり」によって増幅され、かつてニーチェが「神は死んだ」と叫んだことに象徴されるように、人類は畏れとか謙虚さを失ってしまいました。最近、そのような人々の心理の延長に、「人間が小さくなっている」原因があるのではないかと思い始めています。

数学者の藤原正彦氏は、『国家と教養』の中で、「教養とは古典や哲学などの知識とそれらを通じた“人格”の陶冶」と定義して、「歴史の中で、先人達の教養がいかに偉大な力を発揮したか、20世紀になってなぜ力を失ってしまったか」と嘆いています。

「小さくなっている」のは、遠い過去から現在に至る長い歴史の中で、人類が様々な困難に出会い、葛藤し、努力し、克服してきた営みの集大成として当然の帰結なのかも知れないのです。そうなると実に厄介です。この世から犯罪者がなくならないように、人間が「小さくなった」からこそ「“よこしまな”人間が出現する」可能性が増えているし、今後も増えることを覚悟しなければならないのです。

人類の常識を支配している「ナニカ」の解明についても、気候変動のような問題は、「みんなで渡れば怖くない」的な“集団心理”まで加わっていると考えますので、そこに内在する要因は、複雑でなかなか計り知れないものであると考えるに至っています。

我が国においては、地方によって畏れおののく対象は違いますが、昔から「おてんとうさまが見ている」式の“しつけ”の伝統が少し残っていますが、人類は、小賢しい法律などを凌駕する、表現が難しいですが、「道徳心」のようなものに、再び“権威”を持たせる時期が到来しているのではないでしょうか。

さて、バイデン大統領のウクライナへの電撃訪問に合わせたように、21日、プーチン大統領が「西側が戦争を始めた」としてウクライナ侵攻を正当化する年次教書演説を行ないました。人類が経験した、いかなる戦争も自らの正当性(大義)を主張し合ってきましたので、特に驚きはしませんが、その場に居合わせたロシア人たちがまるで集団催眠にかかっているかのような顔の表情がとても印象に残りました。さっそく、バイデン大統領も応酬しました(細部は次回取り上げます)。

昨年秋ごろ、自らもがんを患っているとされるプーチン大統領は、兵士の母親たちを前にして「人間はいつか死ぬ。どう生きるかだ」とも語っていたことがニュースになりました。「死んだら終わり」との考えから出た言葉かどうか不明ですが、仮に、“死を決した人間”として、“自らの人生の証として歴史に名前を残す”ような功名心にかられて、ロシア国民やウクライナ国民、それに世界の人類を巻き添えにすることに一寸のためらいがないとすれば、この先の展開はとても危険性が増大することでしょう。あらゆる手段を講じてそれをストップさせる必要がありますが、その手段が見つかるか、正念場です。

繰り返しますが、現在の人類社会はとても複雑です。人類の思想や価値観、それに死生観などがこれまでの人類の営みの集大成としてますます多様化している証拠でもあるでしょう。正直申し上げれば、世界のリーダーたちの言動や所作、それに加え、それらを分析している専門家各氏の解説もいかにも表面的で隔靴掻痒の印象を持ってしまいます。

かつて経験したこともないような人類の危機をいかにして乗り越えるか、(何度も取り上げていますように)偉大で、強力な力と智慧を持つリーダー(達)の出現と関係者が“ひれ伏す”姿をいつも夢見ているのですが、現実は、若者たちの言葉を借りれば、“超ヤバい”と考えざるを得ません。

次回は、冒頭で「ウクライナ戦争1周年」に絞ってこの問題を取り上げてみたいと思います。

▼太陽光発電の問題点・課題―外国資本の参入

さて本題に入りますが、私は、自衛官として育ってきたせいもあって、国家の「独立」とか「自立」ということをライフワークのように追い求める癖が出来上がってしまいました。エネルギー問題や食料問題も同じです。歴史をみても、「石油の一滴は血の一滴」となって大東亜戦争を始めたように、国防はもちろんですが、エネルギーや食料の“生殺与奪の権利”を外国に握られることを努めて避ける必要性があると考えています。

グローバル社会が到来して久しいですので、一国のみで平和も安寧な生活も望めないのは明らかですが、同盟国や友好国ならさておき、いつ寝首を掻かれるかわからいような国に、国家のバイタルな問題に対して、仮にその一部であったとしても、なんらの警戒感を持たないまま、事業を推進する人たちをどうしても理解できないのです。

先日、沖縄の無人島・屋那覇島を中国籍の若い女性が購入したということがマスコミで話題になりました。かつての保有者が「中国人に売ったとは思っていなかった」と証言したことも話題になりましたが、太陽光発電の外国資本、つまり中国資本の参入はこんなものでありません。

まず、前にも紹介しましたが、単価が安いとはいえ、太陽光パネルの8割は中国製であることが判明しております。

このような中国の強さに対する警戒や太陽パネルの生産過程でウイグル族など少数民族への人権侵害が明らかになってきていることから、アメリカ、ヨーロッパ諸国、インドなどの諸外国では国家安全保障の観点などから太陽光発電設備の国産化を後押しする動きが相次いでいるといわれます。

残念ながら、我が国においては、知る限りにおいては、それでなくともコストがかさむこともあって、「安かろう、良かろう」ということが最優先されているようです。インターネットを開ければ、中国製であることは隠して、“安さ”のみをアピールする太陽パネルや太陽光発電の広告で溢れています。

問題なのは太陽光パネルだけでありません。近年、太陽光発電自体に中国の資本が入ってきて、様々な問題を引き起こしていることが明らかになっています。日本国内で太陽光発電事業を手がける中国の貿易会社とグループ会社の計5社が、2018年までの4年間で計約30億円の所得隠しを指摘されていたことがニュースになっていました。

グループ会社全体で、FIT制度に基づき、高額な売電収入などを得ていたにもかかわらず、日本に納めるべき多額の税金を逃れたり、西日本を中心に太陽光発電所を建設して売電収入を得たほか、その収入を得る権利「売電権」を売るなどして膨大な利益を得ていたようです。

しかし、最大の問題は、「太陽光発電を行なう」との名目で、日本の国土の何パ―セントかを外国資本がすでに所有していることです。その実態については、土地の登記を取りまとめている法務省も国土交通省の不動産建設経済局も詳細は把握していないようで、このような事実が問題にならないことも問題なのです。これこそが、日本全体の「わきの甘さ」の象徴といえるでしょう。

唯一、保安林解除についてマニュアルを整備している林野庁のホームページによると、居住地が海外にある外国法人または外国人による森林取得は平成18年から令和3年までの累計は303件2614ha、国内の外資系企業による買収は266件5851haと記載されていますので、合計で8465haに及びます。と言ってもピンとこないでしょう。この面積はちょうど広島県の面積に匹敵します。すでに国土のうち、広島県ほどの面積が外国資本で買い占められているのです。

子細に見ると、当然ながらすべてが太陽光発電に使用されているわけではないようですが、取得区画の面積が大きい物件の用途はほとんど太陽光発電と記載されています。つまり、広大な面積を必要とする太陽光発電は、広大な土地を公然と取得するための格好の理由(大義名分)となっているのです。

その大半は、北海道の森林との指摘もありますが、これは国有地を主体に林野庁が把握できる範囲に限定されます。民有林については所有者が明確でないものが多く、依然、全体像は把握されていません。その中には、災害から人々の暮らしを守るための保安林や水源も当然、相当含まれているようです。

▼外国資本導入の問題点

この現象は今に始まったことではありません。東日本大震災以降、国が再エネの推進を強力に後押ししたこともあり、太陽光発電事業は中国系企業にとっても「垣根が低く参入しやすい」ビジネスとなりました。しかし、前回、紹介したように、国の買い取り価格も下がっていることから、年々、事業の旨みが少なくなり、日本企業は参入を渋り始めました。それでも中国系企業の参加が相次ぐ背景には、「太陽光発電を名目とした土地取得という目的があるからだ」と指摘もありますが、私もその見方に全く同意します。

最近は、農地についても発電と農作物栽培を同時に行なう「ソーラーシェアリング」が活用されつつあります。一例を挙げれば、茨城県つくば市、筑波山を眼前に臨む田園風景の中に、東京ドーム約11個分に相当する敷地面積約50ヘクタールに約3万枚の太陽光パネルが張り巡らされた全国最大規模の太陽光発電施設が建設されています。2020年8月から稼働しているようです。

これ自体はさほど驚くことではないでしょうが、問題は“だれが経営しているか”です。事業主は、「SJソーラーつくば」という「上海電力日本」という企業が出資している会社なのです。

「上海電力日本」は、同社のホームページによると、中国の「上海電力」の100%子会社の日本法人で、2013年9月17日に設立されました。細部は省略しますが、親会社の「上海電力」の歴史は古く、日清戦争前の1882年創業、現在は中国国内をはじめ、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジアなど世界13カ国で太陽光・風力・水力・火力発電などを含む電力事業の投資、運営を手がけています。

日本については、東日本大震災以後、日本の再エネ普及に便乗し、日本のパートナー企業とタッグを組み、共同投資・事業を根底として電力事業を進めてきたようです。日本法人の取得と前後して、2014年5月には、伸和工業との共同事業として、大阪市で初のメガソーラー発電所「大阪市南港咲洲メガソーラー発電所」が稼働しました(この経緯が物議を醸していますが省略します)。

そして現在、前述の茨城県つくば市をはじめ、福島県西郷村、栃木県那須烏山市、大阪府四條畷市、兵庫県三田市等など国内18カ所でプロジェクトを推進しており、さらなる電力事業拡大を目指しています。

今後、GX を推進することによって、政府から様々な形の補助金を取得しつつ、このような外資企業がますます“幅を利かす”ことは明らかであり、やがては、我が国のエネルギーの“生殺与奪の権利”を保持するレベルまで成長する可能性もあります。

問題はそれだけにとどまりません。中国には「国防動員法」という法律があります。2010年から施行されていますが、「有事の際、国家が民間の人や施設を動員できる」とする法律です。動員は国内外を問いません。太陽光発電施設として国内に分散し、広大な面積の有する施設の“使い勝手”は、少なくともGX一辺倒でそれ以外は盲目になっている政府や官僚の皆さんの想像を超える、国防上最大の懸念事項に発展する可能性があります。

ようやく令和3年、防衛関係施設とか海上保安庁の施設周辺の各種利用等を規制した「重要土地等調査法」が制定されましたが、日本国内に分散した数多くの“拠点”は何ら法的規制を受けずに放置され、有事の際には中国政府の意のままに使用される可能性があるのです。

細部は本シリーズの最後にまとめますが、国防とは、戦略3文書でいう宇宙やサイバーや台湾問題だけではありません。戦略3文書は、少しは他省庁に関連する記述はありますが、防衛省や外務省など関係省庁が限定されていることと裏腹に、政府を挙げて推進しようとしているGX実行計画の推進省庁に防衛省は入っていません。国防上の配慮などは全く考慮外なのでしょう。そのような所にも戦後の我が国の“平和ボケ”がある証拠です。

余談ですが、防衛力整備については、長い間、財務省というブレーキ一辺倒の役所が力を誇示し続けてきました。GXの実行にはアクセルばかりでブレーキをかける“存在”そのものが見当たりません。それが何を意味するのか・・秀才の固まりとされる官僚の皆さんにもそろそろ気づいてほしいと願っています。

最後に「中国はいま、再生可能エネルギーの分野で世界の主導権を握ろうとしている。太陽光発電の分野では世界一の生産量をほこり、風力発電でも欧州のメーカーを猛追している。その先にあるのは、東南アジアや、中東、アフリカといった国への輸出を通じた、再エネ分野の『一帯一路』だ」との指摘を見つけましたので、論評抜きで紹介しておきます。

我が国に中国資本の太陽光発電を拡大すればするほど、我が国が「一帯一路」に加担することに直結し、中国の国益に貢献することだけは間違いないのです。(つづく)

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)

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著者

宗像久男

1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)