□はじめに
話題が少し古くなりましたが、ウクライナ戦争をめぐる最近の動きとして、9月19日、ゼレンスキー大統領が国連に乗り込み、初めて対面で演説し、「侵略者ロシアを打倒するための団結」を訴えました。
しかし、ビデオ参加した昨年に比べて出席者の数は減って、空席も目立ちました。これについては、ウクライナに対する“支援疲れの表れ”との分析に加え、発展途上国は「アメリカとロシアの対立に巻き込まれたくないという思いから欠席する国が多かった」とする見方もかなりありました。
しかし、最大の問題は、拒否権を持つ常任理事国のロシアが戦争の当事者であることから、ウクライナやアメリカなど西側諸国の立場を反映した提案は、ロシアと中国によって全て葬り去られる公算が大であること、すなわち、国連が“平和の維持のための機能を果たさなくなった”という“現実”を改めてさらけ出したことにあると考えます。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半以上が経過し、ウクライナ東部3州への反攻は、黒海艦隊司令部へのミサイル攻撃などが話題になっていますが、当初の計画よりかなり遅延していることは間違いないでしょう。その主な原因は、戦術行動としての「攻撃」自体が難しいオペレーションであり、そのための物心両面の準備が十分でなかったことにあると考えますが、最近は、ウクライナ国内に汚職が蔓延し、国防相や国防次官らが更迭されるなどウクライナ軍の“タガ”の外れていることやポーランドとの関係もぎくしゃくし始めたことなども背景にあるのかも知れません。
アメリカやカナダは、さらなるウクライナ支援を約束したようですが、反攻の進展は不透明ですし、国連が“機能不全”になっていることなどを考えれば、「停戦合意」などはますます遠のくことを覚悟しなければならないでしょう。
ウクライナ戦争の経緯を分析すると、今回、本文で取り上げる「文明の衝突」を回避したり、拡大を防止する“特効薬”はなかなか見つからないと認識する必要があると考えますが、虎視眈々と様々な企みを計画している国は、“同じ失敗をくりかえさない”ことを最重視しつつ、戦争に絡む軍事・非軍事あらゆる視点から詳細な分析をしていることでしょうから、将来はまた違った“様相”になることも頭に入れておかなければならないでしょう。
このたび岸田首相もまた、国連で「人間の尊厳」とか「核軍縮」とか「国連改革」など“理想論”のオンパレードのような演説を行ないました。「理想」とか「正義」に対して誰も表立って反論はできませんが、大多数の国はそれらよりも自国の「国益」確保を優先しますし、時に「理想」や「正義」さえも“したたかに活用する”ことを躊躇しないでしょう。それが「普通の独立国の本質である」と認識した上での演説なのかどうかは不明ですが、立場を異にする国々にはどのように響いたのでしょうか。
話は変わりますが、若干、前回の「教育」を補足しましょう。9月27日付の「正論」で藤岡信勝氏が教科書検定制度の歴史を取り上げ、最後に「今日ほど文科省官僚の権限が強大化し、しかもその官僚機構に左翼・反日勢力が浸透してしまった時代はない」と結んでいました。
信じたくないですが、その結果として、我が国の「国力」増強にさえ反対するような若者が大量に輩出されるようなことが続けば、「国家100年の計」として“我が国の未来はますます危うくなる”と感じざるを得ません。日本の大学の国際的なレベルダウンについては(武士の情けで)あえて取り上げなかったのですが、それらの改革を含め、「教育改革」も“任重く道遠し”であることがわかり、気が重くなっています。
▼「文化」が「国力」に及ぼす影響
さて「文化」です。「文化」こそ、私など素人が立ち入ることができない分野なのかも知れませんが、「歴史」を学ぶ過程において、「歴史」と「文化」が互いに“影響し合っている”ことを何度も実感しました。歴史的な出来事や変化が「文化」を形成し、一方で「文化」がその社会の歴史的経験や進路に影響を与えているようなことです。
たとえば、大東亜戦争を境に我が国の「文化」が大きく変わったことなどからもわかるように、戦争とか革命はしばしば「文化」の変化を引き起こし、逆に、芸術や音楽などの「文化」が「歴史」に反映されたり、時に社会変革の“触媒”になっているようなこともしばしば発見しました。
それでは、この「文化」とはどのようなものか、から入っていきましょう。一般に、「文化」は「人間が作り出した全てのもの」を指す場合が多いようですが、具体的には、「食生活・暮らし方・文字・言語・農業」など社会の仕組みを担うものから、「哲学・芸術・道徳・宗教・科学・価値観」など、具体的な形がない精神的なものまで「文化」と呼ばれています。
歴史の例を挙げれば、毛沢東が「文化大革命」という名前をつけた理由は、当時、毛沢東は、中国が資本主義の復活の危険に直面していると認識し、共産主義という社会制度やイデオロギーのみならず、“人間がつくりだす”価値観、つまり「文化」そのものを根本的に変革することを目指したためと言われております。
さて、「文化」としばしば混同される「文明」は、「人々の生活を豊かにするための物質的なもの」を指し、具体的には、「建築・工業製品・交通手段」などが含まれます。したがって、「文化」は“心を豊かにするため”のものであり、「文明」は“生活を豊かにするためのもの”とも定義されていますが、一般的には、「文明」は“「文化」を含むもっと広範な概念”であると解釈されているようです。
冷戦が終焉した時、フランシス・フクヤマは、『歴史の終わり』を上梓し、「リベラルな民主主義が普遍的になる」ことを主張し、一世を風靡しました。そのような考えの対極にあったのがサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』でした。ハンチントンは、「西欧的な民主主義が普遍的になることはなく、西欧と非西欧、合わせて8つの『文明』が時に対立、または共存していくのが人類の未来である」と説きました。日本版は550ページに及ぶ大作ですが、私も当時、夢中になって読破したことを覚えています。
ハンチントンは、国際政治の視点から、「文明」は「広範な『文化』のまとまりである」と解釈しつつ、「社会制度や宗教など、人間が社会の中で自らのアイデンティティを定義する決定的な基盤を含む」と捉えました。一方、「文化」は、「『文明』より具体的な概念であって、特定の地域やコミュニティにおける生活様式や価値観を指す」と解釈していたようです。
したがって、「文明の衝突」という表現は、「異なる社会制度や価値観を持つ大きな集団間の対立」を強調するために用いられ、国際政治における対立は、“単なる文化的な違い以上のものである”というハンチントンの視点が反映されているようです。
実際の冷戦後の国際社会は、ハンチントンが予告したとおり、異なる「文明」の対立や衝突、時には、ウクライナ戦争のように「文明内の衝突」を繰り返しながら、現在に至っていることは説明を要しないと思います。
さて、ハンチントンが分類した8つの「文明」とは、西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカを指します。つまり、日本を独立した1つの「文明」として扱っています(この点も、同書が日本で人気があった理由でもあると考えます)。
ハンチントンは、「日本文明」を日本という中核国と同一(つまり、“一国家一文明”)として捉え、その理由として「日本の独特な文化を共有する国はなく、他国に移民した日本人がその国で重要な意味を持つほど人口は多くないし、かといって、日系アメリカ人のように移民先の国の文化に同化することもない。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教とかイデオロギーを伴わないという事実であり、そのような宗教やイデオロギーを持たないために、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化的な関係を築くことができない」と解説しています。まさに“しかり”でしょう。
さて、読者の皆様は、「日本文明」を構成している「日本文化」というと何を思い出すでしょうか。だれもが真っ先に日本人が持つ精神性を表現する言葉として使われる「和の文化」を思い出しそうですが、具体的には、歌舞伎、茶道、華道などの「伝統芸能」、寿司、天ぷらなどの「食文化」、地域ごとに行なわれる「祭り」がお盆や正月などの「行事」、神道や仏教などの「宗教」、木造の伝統建築や庭園などの「建築」、それに最近は、アニメ、マンガ、ゲームなどの「ポップカルチャー」でしょうか。
最近、「食文化」や「ポップカルチャー」などは世界各地に普及し始めていますが、その他の「文化」が国内から外に出ることはほとんどないでしょう。よって、ハンチントンは、このような日本を「最も重要な孤立国である」とも付け加えています。
改めて、「国力」を構成する要素としての「文化」や「文明」の国際比較は、これらが非常に複雑で多面的なものであり、その全てを包括的に比較することは難しいことがわかります。
つまり、その国や地域のアイデンティティや価値を他の国や地域から区別することは可能であっても、特に「日本文化」の「孤立性」のような特性を有する場合、他の国や地域に対する「影響力」とか「地位」を高めることなどは不可能に近いのです。
一方、中国のように、「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、東アジア地域のみならず、国際社会に対する影響力を“力づくでも”拡大しようとすると目論む国も存在しています。その中には、社会制度や経済的影響力に加えて、中国の「文化」まで包含されていると考える必要があるでしょう。
▼「文明の衝突」を回避する要件と日本の役割
もう少し続けましょう。私の読み込みが足りないせいかも知れませんが、ハンチントンは、ウクライナ戦争のような“「文明内の衝突」を回避する処方箋”については具体的な提案をしていません。
『文明の衝突』という書籍名からして、“異なる「文明」間の衝突”に焦点を絞り、「文明内の衝突」については、それぞれ相対する国が知恵を絞って解決しろ、ということなのだろうと推測しています。
一方で、ウクライナ戦争は、ロシアの立場からすれば「文明内の衝突」でしょうが、ウクライナはNATO加盟をめざす、つまり、「文明圏の移動」を望んでいるのですから、この戦争は「文明の衝突」とも解釈できるでしょう。
同じことは台湾問題についても言えるでしょう。中国からみれば台湾は国内問題ですが、台湾はすでに西側の一員とも解釈できますので、かつて「台湾は中国の一部」と認めた事実はあっても、アメリカや日本は「中国の国内問題」と簡単に割り切ることはできないのです。その背景には、中国の野望が“台湾に留まらず”、やがて世界を2分するような「文明の衝突」に発展することを警戒し、何としてもそれを阻止したいと考えていることもあるのでしょう。
話を戻しましょう。ハンチントンは、来るべき時代の「文明の衝突」を避けるために重要な3つの要件を提案しています。
第1の要件は「それぞれの文明国が他の文明内の衝突への干渉を慎むこと」、第2の要件は「それぞれの中核国が交渉を通じて文明の断層線で起こる戦争を阻止すること」、そして第3の要件は「それぞれの文明の普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入れ、その上であらゆる文化に見いだされる人間の『普遍的な性質』、つまり共通性を追求していくこと」としています。
その上で、「それぞれの文明に基づく国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」と結論づけました。
昨今の国際情勢をみるに、現実の世界はこの提言を全く無視していることがわかります。第1と第3に反することは、冷戦終焉後、アメリカが先頭に立って何度も繰り返し、その反作用が今日の対立を生んでいるという見方もできるでしょう。また、そのような歴史的事実をなんら顧みず、近い将来、手段を選ばず、同じよう干渉を目論んでいるように見える国もあります。
私は、「文化」や「文明」自体が大きな影響力を持たない日本が果たすべき役割は、ハンチントンが提案する第2の要件の「粘り強く交渉を続け、文明の断層線で起こる戦争を阻止すること」にあるのと考えます。
歴史をさかのぼってみても、覇権国・中国に「日出ずる国」との書簡を送り、「日の本」から「日本」という国名の由来にもなったことをはじめ、福沢諭吉がアジア諸国との連携を諦め、「脱亜入欧」を唱えたことなど、我が国は建国以来、中国や朝鮮半島とは別の“路線”を歩んできました。
昭和初期には確かに“行き過ぎた”部分もありましたが、我が国は今後とも第2の役割を演じる宿命にあるのではないでしょうか。それこそが、東アジアの東端に位置し、依然、他の文明と違い、孤立した“一国家一文明”の「日本文明」を8文明の1つとして残したハンチントンの国際政治学者としての理性を超えた、ある種の期待感さえあるような気がするのです。
実際に、ハンチントンは、『文明の衝突』に続いて上梓した『引き裂かれる世界』の中で、「日本は、その文明の境界が国家の境界と一致している唯一の国だ」として「自動的に助けてくれる“家族”がいない」とする一方で、「日本は独立した調整者としての役割を果たせるユニークな位置にある」と「世界は日本に『文明の衝突』を調整する大きな機会をもたらしている」との期待感を滲ませ、「日本はもっと外向きにならなければならない」と強調しています。
しかし、文明的な孤立国の日本がその自覚と能力を保持し、“調整者”として役割を果たせるかという観点に立つと、相当厳しいことも明白です。実際には、「文明」は孤立していても、価値観や志を共有できる「同志国」と連携しつつ、経済力、政治力(外交力)、そして軍事力など「国力」の他の要素を存分に活用できるか否かにかかっているのでしょうが、「文明」は異なっても“アメリカ寄り”になっており、それによって“独立性”を確保できないということも足かせになる可能性もあるでしょう。
現下の情勢をみるに、ハンチントンの予想した「文明の衝突」が現実のものになっていますし、近い将来、日本自体が当事国になる東アジア地域の「衝突」も覚悟しなければならないでしょう。
とは言え、まだまだ本格的な「衝突」には至っていませんので、「文明の断層線で起こる戦争を阻止する」ため、「日本文明」の中核国として責任の行使ができるか否か、我が国は人類社会の未来を左右する“重要なカギ”を握っているのかも知れないのです。
▼「日本社会」の現状と課題
繰り返しますが、実際問題として、我が国が上記のような意思や資格を含めた“能力”があるかどうか、について真剣に考えるととても悩ましくなります。
再度、「文化」の定義に戻りますと、冒頭に紹介しましたように、「文化」には「哲学・芸術・道徳・宗教・科学」など、具体的な形がない精神的なものまで含みます。我が国にあっては、「自由」「民意」「平等」「ヒューマニズム」のような形に見えないものが「日本文化」を支配しています。つまり、日本の「社会全体」を指すと言っても過言でないでしょう。
作家の三島由紀夫氏は、割腹自殺をする約半年前に、 「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」との言葉を残し、将来の日本を憂いました。
あれから50年余りが経ち、日本はなくなりはしませんでしたが、今の日本は、三島氏の予言以上に国家の基盤も経済状態も一層苦しくなって、日本社会や国民全体が向かうべき方向を失い、混乱しているようにも見えるのです。
また、前回も引用した京都大学名誉教授の佐伯啓思氏も2013年に『日本の宿命』を上梓しましたが、その動機として「今日の日本社会のありように対する絶望的なまでのいらだちを感じ、その真因がどこにあるのかを自分なりに確かめてみたかった」と「あとがき」に本音を披露しています。本書の帯には「偽善栄えて、国滅ぶ。」とありましたが、それらの細部は省略します。ただ、当時の私には、佐伯教授の“いらだち”がどこから来ているのか、明確には理解できませんでした。
しかしこのたび、『我が国の未来を見通す』と題し、可能な限りのデータを逐一明らかにして、我が国の未来を見通そうとしましたが、「このままでは、我が国は人類社会の救済はおろか、数年先の未来さえ“見通せない”」ことを私なりに発見してしまいました。
その原因こそは、「日本社会」そのものにあり、その“ありよう”に対する“むなしさ”とか“やるせなさ”がほぼ頂点に達していることも偽らざる心境なのです。
三島由紀夫氏の“憂い”から50年あまり、佐伯教授の“いらだち”から10年余りが過ぎ、「日本社会」は当時よりもはるかにひどくなっており、もはや限界に近づいているとさえ思うようになって、今では、両氏の“憂い”や“いらだち”にほぼ完全に共感できる自分がいるのです。
さあどうしましょうか。次回以降、「国力」を構成する「ハード・パワー」を総括し、いよいよ「ソフト・パワー」としての「国家戦略」と「国家意思」を取り上げたいと考えています。「日本社会のありよう」の次元を超えて、「国の形」そのものを議論する必要性を感じています。一個人の知見をはるかに超えるテーマですが、少なくとも、「問題提起」まではトライしてみたいと考えています。(つづく)
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)