□はじめに
個人的な話題に恐縮ですが、私は昭和26年生まれで、昭和12年生まれの長女を頭に7人兄弟(男3人、女4人)の末っ子です。当時、生まれ故郷の福島の片田舎においては、5人兄弟ぐらいは当たり前で、近所には10人以上の兄弟がいる家もありました。
読者の皆様も「産めよ、増やせよ」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この言葉を標語とした「人口政策確立要綱」を閣議決定したのは1941年(昭和16年)1月、近衛文麿内閣の時でした。
当時の我が国は、戦争の最中、大東亜共栄圏を目指して人口増強策をとっていましたが、この政策を歓迎して朝日新聞には「日本民族悠久の発展へ」「一家庭に平均5児を」あるいは「1億目指した大和民族の進軍」のような記事が連日、紙面を賑わしました。
終戦後、戦争から帰還した兵士や終戦に安堵した人々が子供を作ったため、前後の世代に比べて極端に出産数が増えたのは、(前回、ドイツやイタリアの例を挙げたように)世界共通の現象でした。
日本の場合は、GHQによって終戦前の政策は停止させられましたが、この「産めよ、増やせよ」政策は街中に生き続け、それが背中を押したような格好で「ベビーブーム」となったものと想像しております。
戦後、この政策を「出産強制だった」と批判する向きがありますが、今日の1億2万人を超える人口を抱え、繫栄を誇っているのは、偶然にも、敗戦とこの政策の“合わせ技”だったと私は考えております。
▼戦後の出生率推移
あらためて、我が国の人口動態を振り返っておきましょう。私たちは、普段、長い歴史の中で我が国の人口がどのように推移してきたか、あまり関心を持たない傾向にあります。
まず、少し長いレンジで我が国の人口動態を振り返ってみますと、日本の人口は、江戸幕府が成立した1600年頃は約1230万人、明治維新の1868年頃は3330万人、終戦の1945年には7199万人でした。そして戦後の人口増加につながります。
1人の女性が一生の間に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」(以下、「出生率」と呼称)の推移は、すでに触れましたように、昭和22年~24年までは「第1次ベビーブーム」といわれ、4.32ほどあり、昭和24年の出生者数は過去最高の269万人を超えました。しかし、出生率はその後、徐々に減りはじめ、「丙午(ひのえうま)」にあたる昭和41年には1.58まで下がります。
若い人には「丙午」の伝説を知らない人がいるでしょうから、補足しておきます。もともとは、中国で「丙午の年には天災が多い」との伝承が日本に伝わり、江戸時代に「丙午の年には火災が多い」との迷信に変わり、やがて「丙午生まれの女は男を食い殺す」という極端な迷信に変容しました。
この影響は明治時代になっても消えず、丙午にあたる1906年(明治39年)の出生者は急減します。そして、戦後の昭和時代になってもその影響が残り、昭和41年の出生率は前年に比べ25%も落ち込んだのでした。
昭和41年の反動もあってか出生率は翌年から回復基調になり、昭和48年には2.14まで回復、出生者数も再び200万人を超えます。この昭和48年をはさみ、昭和46年~49年は第1次ベビーブームで出生した「団塊の世代」の2世たちが結婚し、多くの子供が産まれたことから「第2次ベビーブーム」といわれています。
これ以降の我が国の出生率は、平成17年の1.25まで降下の一途をたどり、その後少し戻し、平成27年には1.44まで回復しますが、再び減少に転じ、令和2年は、コロナ過の影響もあって前年より0.02ポイント低い1.34まで落ち込んでしまいます。
出生者数も昭和48年に291万人を記録した以降、おおむね半世紀の間、減少が続き、令和2年には戦後最少の84万832人(昭和48年の約40%に相当)に留まりました。
さて、「丙午」が次にめぐって来るのは2026年、つまりあと5年後の令和8年です。現代の若い世代は迷信などに惑わされないように見えますが、それでなくとも減少傾向にある出生率がまた再び極端に低下しないよう祈るばかりです。
▼人口減少が進展――毎年、熊本市が消滅する!
「第1次ベビーブーム」の影響や平均寿命が伸び続けたことによって、戦後の人口は急上昇し、1967年に初めて1億人を超え、2008年にはピークの1億2808万人を数えます。
しかし、これ以降は人口減少に転じ、今ぐらいの出生率が続き、また特段の移民政策などを採用しなければ、人口は減少の一途を辿ります。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2048年9913万人と1億人を割り込み、2060年には8674万人になると見込まれています。
40年間で約2900万人の減少ですから、毎年70万人超の人口が減少することになります。これでもピント来ない人が多いことでしょう。約70万人といえば、熊本市や岡山市の人口に相当します。毎年、熊本市や岡山市が消滅すると思えば、これがいかに大変なことが想像できるものと考えます。しかも、限られた期間だけではありません。このまま放置すると、人口減少はずっと続きます。
このように断定しますのは、人口を現状維持するためには2.07以上の出生率が必要といわれるからです。夫婦2人で一生の間に2人以上の子供を作らなければ現状を維持できないのは明白です。戦後、出生率が2以上だったのは、1970年頃、つまり「第2次ベビーブーム」の頃でしたので、今にして思えば遠い昔のことように思えます。
人口減少は全国一律ではありません。人口減がかなり進展する地域とあまり進まない地域に分かれていきます。つまり、「過疎化」の問題がますます顕在化するのです(過疎化の問題は次回取り上げます)。
▼日本人は〝絶滅危惧種″に
私たちは普段、2060年頃までの人口推移のグラフを目にします。推計値といいながらも2060年頃までの人口動向はほぼ確定しているからです。
問題はそれ以降です。放置すれば、その後も人口減少は続きます。出生率が少し改善されれば、人口減少は抑制されますので推計には少し幅がありますが、我が国の人口は、2100年には約6500万人~約3800万人、その先の2180年頃には約2000万人まで落ち込むと予想されています。
そして、仮にそのまま人口減少が進むとすると、今から500年後の2500年頃には約44万人まで落ち込み、3000年頃にはわずかに約1000人になるのだそうです。あくまで〝現状のまま″との仮定ですが、遠くない将来に、日本人は〝絶滅危惧種″になり、国家そのものが消滅する可能性さえあるのです。
私は、『我が国の歴史を振り返る』として約500年の歴史を振り返りましたが、人口減少だけを取り上げてみても、今から500年先の我が国が、国家として存在するかどうかを見通すのは厳しいことがわかりました。
キャリアウーマン、女性の社会進出、ジェンダーフリー、夫婦別姓、晩婚化、未婚化、晩産化、離婚の増加、子育てにかかるコストの上昇、果てはLGBT・・・いろいろな考え方があり、これらを否定するものではありせんし、出生率低下の原因も簡単には特定できませんが、我が国は、一時流行った言葉、「どげんかせんといかん」状態にあることは間違いないと考えます。
それも早ければ早いほど、その影響を抑制でき、我が国の将来の安泰が続くことは間違いないでしょう。皆様はどう思われるでしょうか。
前回の最後、「本来、おめでたいはずの『長寿大国』は手放しでは喜べない部分がある」と解説しましたが、我が国においては、平均寿命が伸び、高齢者が増加することと少子化が進み、人口減少が進展することを同時並行的に考えなければならないことを意味しておりました。次回、もう少し踏み込んで考えてみましょう。
(以下次号)
宗像久男(むなかた ひさお)